馬が喋る、そ~んな馬鹿な♪……という歌があった。
『ミスターエド』というアメリカのテレビドラマの主題歌。なかなかのメロディ。歌っていたのは、エドの声もやっていた三遊亭小金馬(後の4代目金馬)師匠。
テレビで競馬中継を見ていると、ときどきあのメロディが頭に甦る。
僕は3歳から6歳くらいまでの間、福島競馬場の裏手にある長屋に住んでいた。
両親は共稼ぎで、人生の記憶が始まったときはすでに鍵っ子だった。
母親が帰ってくるまでの間、近所の悪ガキたち(みんな年上)と一緒に遊んで時間をつぶしていた。
競馬場の裏門付近が天然の砂場になっていて、穴を掘ると地下水がわき出してきた。そこで毎日飽きもせず、落とし穴を掘り続けた。
そのうち、競馬場の裏門をくぐり抜け(乗り越えたのかもしれないが記憶は定かではない)、塀をよじ登って、塀の上を伝わり、監視塔のひとつに入り込んで密やかな遊びをする悪ガキが出てきて、一緒に監視塔に潜入した。
もちろんそんなことができるのは、平日の、競馬がないときだけ。競馬のあるときの競馬場は知らない。
51になる今なお、僕は競馬をやったことがないし、人が入っている競馬場を見たことがない。要するに、競馬のことは何も知らない。
そんな競馬のド素人たくきは、競馬に関して、昔から、いくつか不思議に思っていることがある。
ひとつは、競走馬は、レースの前に、その日のレースが何メートルのレースなのかを知っているのだろうかということ。
長い距離と短い距離では走り方が違ってくるわけで、そこが騎手の「手綱さばき」の見せ所なのかもしれないが、馬自身、レース前に、正確にこれから何メートル走るのか分かっていれば楽だろうに、と思うのだ。
ディープインパクトが菊花賞で勝利した後、武豊騎手が「(最初から飛ばしたのは)馬が間違えたんでしょう。『もう1周あるよ』とずっと話しかけていました」というようなことを言ったそうである。
なんだぁ! やっぱり、事前に話が通じてないんじゃん。
1周で終わりなのか2周するのかさえ分かっていないんだから、何メートルのレースかといった細かい話は、馬には伝わっていないのでは?
レースの前に、馬の目の前に指を出して「今から2500メートル走るからね」なんてことを何度もやれば、頭のいい馬はちゃんと理解するようになるのかしら。
もうひとつ疑問なのが、馬はゴール地点を正確に把握して走っているのかということ。
ゴールテープがあるわけではないし、写真判定になるハナ差の勝負などでは、馬自身は自分が勝ったのかどうか分からないのではないだろうか。
優勝すると、マントみたいな布をかけられて、観衆がワーワー自分のほうを見て騒ぐので、ああ、勝ったのね、と分かると思うが、もつれたレースでは、2着か3着かなんてことは分からないに違いない。
陸上競技の選手なら、1/100秒差でも、着順は分かる。ああ、最後にもうちょっと前のめりに突っ込んでいれば銅メダルだったかも……なんて悔しがりながら競技場を後にする。
でも、馬は、自分が2着なのか3着なのか分からないまま、暗い馬運搬車に入れられ、厩舎に帰る。
ましてや、連勝複式とか単勝とか、いくつもの方法で人間たちが賭け事をしているなんて分からないから、2着と4着では大きな違いがあるということなど、想像だにしないだろう。
それとも、厩舎に帰ってから、騎手や調教師と一緒に、ワイドスクリーン画面に映し出された本日のレース中継録画を見ながら、反省会とかしているのだろうか。
「ほ~ら、ここで力みすぎてるんだよ、おまえ。だからゴール前さされちゃっただろ。いつもの悪い癖、いい加減に直せよな。もう一度見るか?」
「ぶひひ~ん」
先日の凱旋門賞。ディープインパクトが3着に破れた場面はリアルタイムで見ていた。
あの競馬場のゴール地点には、太い線が3本くらい引かれていて、3本目がゴール地点のようだった。多分、ゴール前50メートルとか100メートルの間隔で引かれているのだろうが、ディープインパクトは最初のラインのところでは先頭だった。
その後、隣の馬に抜かされたのだが、すぐにもうひとふんばりして、2番目のラインのところでもハナ差くらいで抜き返していた(ように見えた)。
しかし、そこから一気に2頭に抜かされ、ゴール地点では3着。
あれって、もしかしてゴール地点を間違えていたのでは?
「1着だと思ってラインを駆け抜けたら、タケちゃんがまだ鞭を入れてるじゃん。あれ? じゃあ、この次の線がゴールなの? と、無理をして抜き返したのに、なんだなんだ。勝ったのは俺じゃなかったのか? え? 3番目のラインがゴール? 冗談じゃないよ。言ってくれよ~、最初にぃ!」
……ディープインパクトが喋れたら、そんな風に愚痴っていたかもしれない。
そういえば、時同じくして、負け組のアイドル、ハルウララの引退も報じられた。
8年前の平成10年11月のデビュー以来、113戦全敗。
90連敗が近くなったあたりから、「どんなに負けても走り続ける」ということで人気が出て、写真集や小説まで出版された。
このハルウララにも、ぜひインタビューをしてみたいものだ。
もしかして、ゴールラインがどこだとか、何メートルのレースだというレベルではない、とんでもない誤解をしていたりして。
「レース? 勝ち? 負け? なんですか、それ。みんなで走る、あの楽しい運動の時間のこと?」
ハルウララという馬は、100回以上走っても、あれが「レース」という、勝ち負けのあるイベントだということすら理解していなかったのかもしれない。あるいは、「みんなで楽しく走っているのに、一番前に出ようなんて、青臭いやつがいるのよね。あたしはそんな下品じゃないわ!」という美学を貫いていたのかもしれない。
ほんと、馬が喋れたら、いろいろ聞き出せるのに。
競馬中継を見ながら、今日も僕の頭の中にはあのメロディが甦るのである。
う~まが喋る、そ~~んな馬鹿な♪