2006年11月10日執筆 2006年11月13日掲載
救う言葉
このところ、「いじめ」を苦にした子供の自殺の報道が立て続けにあった。
それをめぐる大人たちの反応、言動が、どうもしっくりこない。教師の責任を追及し、「いじめの事実」を隠蔽する学校や教育委員会の体質を告発する。しかし、それでこうした事件が減るのだろうか?
思春期の子供は、心身の急激な変化についていけず、ホルモンバランスが崩れ、感受性が異常に高まり、大人になってから思えば「なんであんなことを……」と思うような行動をとることが珍しくない。
僕も、あの頃は毎日「死」を考えていた。
絶望して死にたいというより、死によって訴えたい、という気持ちが強かった。
そのこと自体は、珍しいことでも異常なことでもなく、思春期における普通の心象風景ではないだろうか。
ただ、多くの若者は、危機ポイントを乗り越えないよう、ぎりぎりのところでバランスを取り、「死なない」で大人になる。
このバランス感覚は、自分で育てなければならないけれど、一人だけで完全にコントロールできるものでもない。
自殺してしまう子供が増えているとしたら、本人よりもむしろ、周囲の人間たちのバランス感覚が欠如していることが大きな要因になっているような気がする。
北海道の事件では、担任教師が「からかいやすい子だった」と発言したことで集中砲火を浴びた。
からかいやすい?
お笑い芸の世界では、いじめられキャラクターというのは重要な存在である。しかしそれは、本人がその役割を自ら演出している「強い」キャラクターだ。弱いからいじめられるわけではない。
担任教師が「からかいやすい子」だと思っていた生徒は、そうしたキャラクターではなく、もっとずっとナイーブな性格だったに違いない。それを見抜けず、単に弱い者をからかい、ユーモアのかけらもないような低レベルな言動で自分の憂さを晴らしていたとしたら、教師として完全失格。教師云々以前に、まともな大人としてのバランス感覚や観察眼がない。
僕の中学・高校時代(何度か書いたが男子校)にも、からかわれる生徒というのはいた。でも、そこには、ここから先はやってはいけない、という、暗黙のルールがあったように思う。
みんなで突然標的の生徒にわーっと寄ってたかってズボンを脱がせるなんていうのは、よくあった光景だった。一種のストレス解消だったのだろう。
しかし、いかにも弱い生徒、無口で暗い生徒が狙われることはなかった。ズボンを脱がされてもヘラヘラ笑っている子が、繰り返し標的になっていた。
あるとき、よく狙われる生徒が突然ぶち切れて「そんなに見たいなら見せてやる」と言って、自分でズボンを脱いでしまったことがある。
周りの生徒は一気にしらけて「なにやってんだよ。きたねえもん見せんじゃねーよ」とブーイングになり、以後、ズボン下げ遊びは急速に下火になった。
これは、暗黙のルールが壊れたことを意味していた。
ふざけていたつもりなのに、そこまで切れちゃうのか。つまんねーよ、そんなの。
おまえ、ほんとはもう飽きていたんだな。わかったよ。やめやめ。
そういうメッセージのやりとりが、言葉を交わさなくても、あったということだ。
僕も一度追いかけられたことがある。
文化祭で美術担当になり、校舎のベランダ一面にボール紙を貼って抽象絵画を描いた。
それを満足げに見ていたとき、ガキ大将的人気者A君が、「よーし、今度はよしみつだ!」と声をかけた。
僕は必死で逃げ回った。で、最後に捕まったところでA君が言った。
「やめやめやめ。ここまで。こいつ本気で嫌がってるよ。やめよう」
その一言でみんな散っていった。
「功労者のおまえを胴上げしようとしただけなのに」
とA君は言った。
でも、胴上げされたついでにズボン脱がされてたかもしれないもんね。
成績の悪い生徒、太って運動ができない生徒、天然ボケの生徒、色が黒い生徒、異常に早熟で毛深い生徒、学校にはいろんな生徒がいる。その特徴をネタにからかい、からかわれることは日常茶飯事だ。
でも、そこでもやっぱり最低限のマナーはあった。
あんこ型力士のように太った生徒は、胸がぽよぽよしているので、よく「触らせて~」「あ~気持ちいい」とやられていた。
体育の時間は、最初の15分くらいは全員が列になって、イチニイイチニイと掛け声をかけながらぐるぐる走らされることになっていたのだが(中学・高校6年間ずっとそうだった)、その隊列は身長順で、先頭はいちばん背の高い生徒になる。先頭の生徒は背が高いから、たいていは運動も得意なのだが、後ろの生徒がついてこれるように、極端に歩幅を狭めた無理な格好で走ってくれた。
それでもいちばん太ったB君は、必ず5分くらいするとずるずる遅れて、一人で列の後ろに落ちていく。それを見て、先頭の生徒はさらにスピードを下げる。
それが休み時間に笑いのネタにされることはあっても、いじめて楽しいなどと思うやつはひとりもいなかった。B君が本当に苦しそうにしていると「おい、大丈夫か?」と声をかける。そういうものだと、みんな普通に思っていた。
C君は、成績が悪くて、いつもからかわれる役を担っていた。性格が明るいので、それこそ「からかいやすい」キャラクターだった。
授業中、教師の質問に、予想もつかないようなとぼけた答えをすることでも人気?があった。いわゆる天然ボケというやつで、本人はしごくまじめに答えているのだが、あまりに的外れなので教室中が笑いに包まれる(怖い教師の授業のときは、必死に笑いをこらえる)。
ある年の遠足のとき、行き先が千葉のマザー牧場(これ自体がベタでお笑いなのだが)と発表されると、C君は担任に「ラジコン飛行機を持っていってもいいですか?」と訊いた。生徒たちは「あいつ本気で言ってるのかよ」と笑っていたが、担任は虚をつかれたのか「ん? ああ……まあ、周囲に迷惑をかけなければいいんじゃないか?」などと答えた。
遠足当日、マザー牧場の草原では、ラジコン飛行機を見事に操るC君の姿があった。
宙返りなどの曲芸飛行の連続。これには生徒も教師もみんな度肝を抜かれた。
また、そのときのC君の満面の笑顔といったら! 普段は絶対に見られないような笑顔だった。
僕も「ちょっとやらせて」と頼み込んでやってみたのだが、慣れないため、プロペラで指を切ってしまった。
そのときもC君はニコニコしながら「あ、やっちゃったね。こういうこともあると思って、ちゃんと持ってきているんだ」と、バンドエイドを差し出した。
その日以来、みんな「Cはアホだけど、少なくとも特技がひとつある」と認めるようになった。
これを書いているうちに思い出して、あいつどうしているんだろうと気になり、Googleで名前を検索したら、ラジコン用ディーゼルエンジン談話室みたいな掲示板の常連になっていた。35年経っても、まだやってるんだなあと、嬉しくなった。
そんなわけで、中学・高校時代の6年間、生徒に「いじめ」を受けたという記憶は特にない。「いじめ」を目撃したこともない。
それよりなにより僕にとって深刻だったのは、教師との関係だった。
校則では「長髪は禁止」と決められていたのだが、その「長髪」の定義は、「前は眉毛にかかってはいけない、横は耳にかかってはいけない、後ろは襟にかかってはいけない」というもの。
僕は中学2年の夏くらいで色気づいてからは、以後4年半、ずっとこの校則を破り続けた。
実体は長髪でもなんでもない。横は耳が半分くらい隠れ、後ろは襟にかかるといった程度の「長髪」だったが、「家に帰って脱げば開放される制服と違って、髪型をそこまで指定するのは個性を無視した基本的人権侵害だ」と主張し続けた。
高校2年のときだったろうか。体育の教師が、いつもは15分くらいで終わらせるランニングを、いつまで経っても「やめ」と号令をかけず、黙って1時間中走らせたことがあった。
そして言った。
「このクラスには校則を守れないやつがいる。そいつが髪を切ってくるまでは、体育の時間はいつまでも全員ランニングだけだ」
教室に戻ってから、さすがに何人かが騒ぎ出した。
「よしみつのせいで俺たちまでとんだ迷惑だ。冗談じゃねーよ」
騒ぎが大きくなりそうなとき、ひとり、大きな声でこう言った生徒がいた。
「だけどよ。考えてもみろよ。よしみつが髪を切ったら、もうそれはよしみつじゃないよ」
生徒からも教師たちからも信望の厚いD君だった。
D君のその一言で、ざわついていた教室内も少しずつ静かになり、また次の授業が始まった。
この一言で、あのときの僕がどれだけ救われたか分からない。
毎日毎日、学校に行くのが嫌でしょうがなかった数年間。
教師に殴られたり髪を引っ張られたりする程度なら、自分ひとりが我慢すればいい。でも、教師の権力を利用して生徒全員に苦しみを与えるという卑怯なやり方に直面したとき、正直、どう対処すればいいのか分からなかった。
D君の言葉を救いとして、観念して髪を切ろうかとも思った。しかし、そんなことをするくらいなら転校するほうがはるかにマシだと思いなおした。
高校2年というと、あと1年少しを辛抱して、なんとか大学に逃げ込もうと決意していたときだったから、転校だの退学して大検を受けるといったことを考えるのは、とてもストレスになった。
家に帰って親にこのことを相談すると、父親(養父)が憤り、「俺が校門前でビラ配りしてやる」などと気勢を上げた。(実際にはやらなかったが)
結局、その体育教師はこの「いじめ」を続けることはなかった。
親が校長に文句を言ったからかもしれない。
ストレスフルな高校2年が終わり、3年になると、数学の授業もなく、担任もリベラル派で、ぐっと気持ちが楽になった。
髪を切れ、切らない騒動は結局卒業まで続いていて、髪を切らなければ学園祭で演奏させないとか(バンドのメンバーに謝り、出演を辞退した)、髪を切らなければ卒業式に出させないとか(どっちみちICUの受験日と重なっていたので出なかった)、いろいろあったけれど、毎朝顔を合わせる担任が何も言わなかったので、だいぶ気持ちが楽だった。
卒業式の前に、担任に呼ばれた。
「この学校の教諭として、上からの命令だから君に伝えます。髪を切らなければ卒業式には出てはいけない。卒業証書は渡さない。……とのことです。以上、担任として伝えました。でも、切るか切らないかは君が決めることで、誰も強制はできないんだからね」
担任はそう言うと笑顔で去っていった。
この言葉にもだいぶ救われた。
その後、当時の副校長(その後、校長になった)E先生に呼ばれた。
E先生は英語の教師としても優秀で、生徒の人気もダントツだった。ニックネームは「ダンディ」。
僕も彼のことは尊敬していたので、彼に言われたらどうしようと悩んだ。
しかし副校長E先生は、僕の顔を見るなり、開口一番「鐸木君、ごめんなさいね」と言ったのだった。
「つまらないことで疲れさせて気の毒でした。でも、心配はいらないから」
その言葉でも救われた。
高2の最大のピンチのときに「よしみつが髪を切ったら、もうそれはよしみつじゃない」と言ってくれたD君は、高3でも一緒のクラスだった。
先週も書いたように、いわゆる「バカクラス」の落ちこぼれ仲間だ。
D君はその後、母校に政治経済の教師として入り、校長になったE先生を陰で支え、母校の発展に尽力してきた。
そう、このD君こそ、今、我が母校を運営している名物校長、その人である。
「いじめ」問題は、責任の所在論では解決しない。
具体的な「救う言葉」をかける人間がいるかどうか。そうした言葉を言える健全なバランス感覚や愛情を、親や教師や生徒が持っているかどうかにかかっている。
●最近の買い物(右のやつね)
1つ前のコラムへ
デジタルストレス王・目次へ
次のコラムへ