「格差社会」「ワーキングプア」といった言葉が今年はずいぶん使われたが、多くの人は「今年の流行語」などという呑気な話ではなく、「自分のことだ!」と実感し、改めて世の中を見回してみて慄然としているのではないだろうか。
いろいろなデータが飛び交っているので、何を信用していいのかよく分からないが、とりあえず、平成17年度の国税庁の報告では、平成16年の1年間を通じて勤務した給与所得者(約4500万人)の平均給与は前年に比べて5万1千円減少し、4,388,000円(男性:5,409,000円,女性:2,736,000円)なのだそうである。これは7年連続で減少だとか。
給料の平均が440万円……。僕の年収はこれよりもだいぶ低い。
しかも、これは全年代の平均値であって、僕のような50代の人間(世帯主である男性)の所得はもっと高いのだろう。つまり、僕はもうどっぷりと、格差社会の底辺に沈み込んでいるのである。
『プレジデント』という雑誌が、ときどき「日本人の給料」という特集を組むらしい。ネット上には「プレジデント○月号 日本人の給料 より」と出典が書かれたデータがたくさん出回っている。その中に、職業別の平均所得一覧というのもあったので、それを見てみると……。
国政関連では、内閣総理大臣が4000万円超、国務大臣が3000万円超、事務次官が約2500万円。これは歳費というやつで、実際には株で儲けたり、「お代官様、黄金色の菓子折にございまする」みたいなのがいっぱいあって、もっと儲かっているのだろうな。
111万人いる国家公務員の平均年収が628万円。それより100万円も高い年収を得ているのが地方公務員(314万人)で、平均年収は728万円。
一般の企業勤務者では、いわゆる「優良上場企業」の給与所得平均が800万円強で、これに該当する人は約100万人。
こうした給与所得者に対して、ガクッと低所得なのが自由業、自営業の人たち。
プログラマーが 412万円、
自動車整備工 387万円、
大工 365万円
調理士 352万円
……などとなっている。
給与所得者と自営でやっている「職人」(僕もその一人)の所得格差を痛感するのは、時給や人工(にんく=一人の職人が1日の仕事で得る手間賃)の計算をしたときだ。
給与所得者の平均年収を440万円とする。
1日8時間労働で、年間240日働くとすると、人工(にんく)計算なら約1万8300円、時給だと約2300円となる。
一流企業に勤めて880万円の年収がある人だと、1人工(いちにんく)は約3万7000円、時給だと4600円になる。
阿武隈に6坪の家を建てて、いろいろな職人さんの仕事ぶりを見てきたが、職人さんたちの人工は大体1万5000円を最低補償額としていた。50代60代の大ベテランで、どんなにすばらしい技術を持っていても、時給2000円にならないのである。
年収440万円を12で割ると約36万7000円で、これが日本のサラリーマンの月平均所得ということになる。
ボーナスも福利厚生もない自由業、自営業者が、平均的な給与所得者なみに収入を得るためには、毎月36万円以上の利益を上げる必要があるが、これは並大抵のことではない。
1日に1万8000円稼ぐと計算しても、例えば僕の場合、1回の執筆で1万8000円以上の原稿料をもらえる仕事はほとんどない(このコラムも例外ではない……)。
1回に1万8000円のギャラをもらえる定期的な原稿執筆仕事が毎月20本あって、ようやく「年商」440万円だが、これは「年収」ではない。交通費や通信費などの経費は別にかかるし、原稿料に消費税をつけてくれない場合は、消費税も後からもっていかれる。
一人で稼いでいくというのは、かくのごとく大変なことなのだ。
仕事には、大きな組織に入らないとできない仕事がある一方で、組織に属してしまうと質が落ちてしまう仕事もある。
物書きが大企業に属したら、言いたいことが言えない、書きたいことが書けなくなる。
大工さんや左官屋さん、水道配管工などの職人さんにしても、最近では全国ネットで展開している大手代理店の下請けに入らないと仕事が回ってこなくなっているが、そのシステムの中では、職人一人一人の責任は曖昧になり、
おのずと仕事も荒れてくる。
自分できちんと責任と誇りを持った仕事をしたいと思って個人で営業しても、依頼者は建て主や個人ではないので、仕事の質がなかなか収入に結びつかない。
結局、今の世の中は、人間一人一人が幸せに暮らしていけるようにという目的ではなく、何か見えない(見せられない、教えられない)目的のために、富を一極集中させて、巨大資本による最先端技術を使いやすくするようになっているのではないか、という気がする。
(そうさせているのは、
「人間以外の力」ではないかという気もしている。)
その「何かの目的」のためには、ほとんどの人間は素材や動力の一部にすぎず、巨大資本によって使いやすく、また、いつでも切り捨てられるようになっているのではないか。
お隣の大国、中国では、この構図がより明確に形成されているようだ。
まずは、農業戸籍と非農業戸籍=都市戸籍という形で、国民が所属する階級を強制することに成功した。
人々は移動の自由さえも制限される。かつて、農村から都市に出稼ぎに出た人たちは「盲流」と呼ばれてアウトロー的存在だった。今は急速な工業化によって大量の労働力が必要とされているので、「民工」と呼ばれ、認知されるようになったが、それでも、親の戸籍が「農業戸籍」か「都市戸籍」かで、基本的に一生が決まってしまうことには変わりはないようだ。
中国政府は急速な経済発展を望んでいるが、「民工」たちが成功して、民工による再生産を始めることは望んでいないらしい。民工たちは低賃金に抑えられ、生まれる富は都市戸籍の者たちが独占する。そうしたシステムがきっちりできあがっている。
中国人の平均年収は約60万円(約3万8000元)らしいが、中国には農民戸籍の人間が10億人いて、その平均年収は多くても3000元(5万円弱)、実質年収1000元以下の農民も多数存在するという。
これはあくまでも日給ではなく年収。
民工(農民戸籍の出稼ぎ労働者)の平均年収はもう少しいいようだが、それでも日本人の高給取りの日給並みというところか。
一方で、都市戸籍に生まれ、ビジネスを起こして、その民工たちを雇う立場となった実業家たちの年収は数億円。年収600万円以上の人間が1000万人以上いるともいう。
なにせ謎の多い国だけに、正確な数字や実態はよく分からない。しかし、農村部と都市住民──中でも、実業家になれた都市戸籍の人たち──との格差が、とんでもないものであることは確かだろう。
東京都内にブランド店がオープンしたり、質屋のブランド品再販会が催されたりすると、まっさきにやってきて万札の束を出し、買いあさっていくのは、こうした中国人実業家の家族だという。
この実体を、中国政府は「効率のよさ」として是認しているのだろうか。
日本での格差社会がますます広がることは確実だが、おそらく現時点では、中国よりはだいぶマシな水準なのだろう。
問題は、この格差社会エスカレーションに対して、日本政府はどこまで理解しているのか、である。
生まれたときから金に不自由なく暮らしてきた利権屋二世のボンボン集団だから、事態を理解できていないで、放置しているだけなのか。
それとも、すべて分かった上で、この格差社会をさらに進めようとしているのか。
もし後者であれば、その目的はなんなのか?
富を一極集中させて、その果てに、何をやりたいのか?
目的があるなら、「誰」のための目的なのか?
それを見ようとせず、ただ単に格差社会だのワーキングプアだのと言って騒いでいるだけでは、歴史上、何度も何度も繰り返されてきた、富める支配者階級と支配された貧民層との対立構図ということだけで片づけられてしまう。
「一般人」を自称する人たちが、お金持ちウォッチング、貧乏人ウォッチングに興じているようでは、ますます誰か(何か)にとっては思うつぼだ。
最近届いた、
くりすあきらくんからの手紙の最後の部分:
//おかあさんがいうたよ。(たくきさんは)なんでもできるすごい人だけど、たった一つ、おかねもうけが、ものすごくへたなのよねー。だって。たくきさん、ほりえもんみたいな、おとこになったらいけんでー。ぼくは、きらいになるでー//