不二家の商品管理がずさんだったというニュースが、連日、相当な時間とスペースを割いて報道されている。
不二家というメーカーのポジションが、集中砲火しやすい位置にあったのだろうと思う。
メディアは、分かりやすい標的にはしつこく食いつくが、本当に怖ろしいこと、狂気に満ちたこと、重要なことには沈黙してしまいがちだ。
今までこのコラムで、地上デジタルによるテレビのアナログ放送廃止の愚や、PSE法の愚については何回も書いてきた。でも、それも、一種「書きやすいポジション」のテーマだったからかもしれない、と自分では思っている。
現在、最も緊急を要することといえば、六ヶ所村の核廃棄物再処理工場の本格稼働をやめさせることをおいて他にないと思う。
しかしこれは皇室問題と並んで、最も「書きにくい」問題だ。
元駐スイス大使の
村田光平氏は、日本の核エネルギー政策がいかに間違っているか、現在、日本がいかに危ない状況にあるかを熱心に説いている。
政治家や自治体首長などにあてた手紙などもWEB上で公開されている。
中でも、2004年11月に、当時の小泉首相や民主、公明、共産、社民、各党党首にあてて送られた
「再処理問題は原子力委員会ではなく国会審議を」という手紙は、簡潔にして、問題点が非常によくまとめられており、ぜひひとりでも多くの国民に読んでいただきたい内容だ。
原子力発電所は、「正常に」運転されているときでも、常に環境中に微量の放射性物質を放出している。核廃棄物再処理工場が本格稼働すると、それよりも多い放射性物質が放出されるが、それに対する具体的な安全基準や、規制する法律などが存在していない。
万一の事故の際の被害規模も、原子力発電所事故よりも規模が大きくなることが想定され、問題は日本だけに留まらず、全世界、地球規模の危機に結びつく可能性がある。
核燃サイクル計画には、これだけの危険と引き替えるだけのメリットがない。
使用済み核燃料を再処理することで得られるのはプルトニウムだが、数千年以上にわたって管理し続けなければならないというこの危険物を生産することで得られるものは何もない。核兵器の材料(高濃度のプルトニウム)は手に入るが、それとて、すでにもてあます量に達している。
増えすぎたプロトニウムを処分する方法としてプルサーマルなどという無茶な方法も考え出された。しかし、プルサーマルで燃やすよりも、新たなウランを買って燃やすほうがコストも安いというのだから、なんのためにやっているのかまったく分からない。
また、使用済み核燃料は、再処理することで、プルトニウムが得られると同時に、さらに高濃度な核廃棄物が生じるが、それを処理、あるいは保存する技術は存在しないし、将来にわたって解決できうる可能性はほぼゼロである。
熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)によって、何かを使ったり処理したりすれば、必ず汚染が生じる。その汚染を地球上にため込まないシステムは、生態系や地球の環境が持っている循環(これが本物の「サイクル」)機構しか存在しないが、放射能はその循環システムにのせて分解することができない。
これは明白な物理学的事実なのに、なぜか学者も沈黙してしまう。
兆円単位の金が注ぎ込まれ、事故が起きれば日本だけではなく地球が破滅するかもしれないという核燃サイクル(実際には「循環」しないのだから「サイクル」という名称はインチキ)事業をこれ以上続けるのは狂気としか言いようがない。
ところが、日本人の多くは、そのことを知りさえしない。
不二家のシュークリームの消費期限がどうのこうのという問題は全国民に知らされ、「ペコちゃんが泣いている」などという安っぽいタイトルが乱舞するのに、自分たちの税金が兆円単位で注ぎ込まれ、死と隣り合わせの賭けにつき合わされるというこの問題は知らされない。また、関心を持とうともしない。
北朝鮮の核実験を知らない日本人はいない。
しかし、北朝鮮に限らず、金と権力を持った狂人がその気になれば、面倒な核ミサイルなど開発せずとも、原子力施設にテロを仕掛ければ、日本は簡単に破滅する。
テロ攻撃の標的として、原発よりは再処理工場のほうが狙いやすそうだし、テロ攻撃が成功したときの放射能汚染の規模も桁違いになるだろう。
ああ、もうダメだな、と思うしかないのである。
時間はもうない。
電力会社の本音は、できることなら、危ないことはこれ以上やりたくない。六ヶ所村を核廃棄物最終処分地(これも、実際には「処分」はできないので、外部流出せぬように隔離して、数千年以上の気の遠くなる時間「保管」しておく、という意味だが)として決めてほしい、というところではないだろうか。
しかし、青森県知事はじめ、地元の人々の一部は、「再処理するというから受け入れたのであり、最終処分地にだけはさせない」と強く抵抗している。
残念ながら、再処理工場建設を受け入れてしまった時点でもう手遅れなのだ。
再処理することで、自分たちの住む場所が、最終処分場になるよりもはるかに危険にさらされるということを理解することから始めなければならない。
嘘はどこかで必ずばれる。嘘が大きければ大きいほど、嘘を続ければ続けるほど、取り返しがつかなくなる。
結局、事実を知っている者たちは、「せめて自分が生きている間は何も起きないでくれ」と祈っているだけなのだ。
大きな嘘がばれるとき……それは、日本が地球を破滅させる日になるかもしれない。