現在の自公政権がやっている政治を評価している国民は少ないと思う。
それなのに国会で圧倒的多数を占め、どんな法案もやすやす通せる強権体制を保ち続けていることの最大の原因は、対抗する野党勢力、特に、民主党が「自滅体質」だからだ。
2003年秋の総選挙以来、僕はもう、国政選挙にはほとんど期待が持てなくなっている。
あの選挙の直後、僕は
「『与党218 対 野党262』という試論」と題する文章をこのコラムに書いた。
今思えば、あれが現代日本の退廃政治に少しでも歯止めをかける最後のチャンス、あるいは、政権交代に現実味を感じられた最後の選挙だったかもしれない。
2005年の「郵政民営化選挙」では、小泉前首相の子供だましのパフォーマンスにずるずると引きずられ、ペースを合わせて、無惨な負け方をした。
あのとき、多くの国民は嘆いた。小泉に対抗できる程度の役者もいないのかと。
役者がいないのなら、相手をピエロに仕立てるだけの知将が力を振るう場面だった。
それもいないということが、はっきりと分かってしまった。
前原誠司代表が誕生したとき、これで政権交代は10年遠ざかったと思った。小泉首相のミニコピーのようなキャラクターが野党第一党のトップだというのでは、最初から試合が成立しない。
あの頃からである。民主党の中には、「自動自滅システム」が存在するのではないかと思うようになったのは。
その「システム」は、具体的な人間かもしれないし、あるいは漠然とした「体質」のようなものかもしれない。
とにかく、党にチャンスが回ってきたとき、そのシステムは自動的に起動し、党がそれ以上躍進しないよう、絶妙な仕掛けを施す。そういう「自滅システム」が動いていることは間違いない。
偽メール事件は非常に分かりやすい例だった。
「民主党はお子様集団だ」というイメージを植えつけることに見事成功した。
しかし、あまりにも民主党の弱さを露呈させすぎて、前原失脚、小沢カムバックという、当初の目論見以上の結果をもたらしてしまった。
あの事件に仕掛け人がいたとすれば、「しまった! ここまで効くとは思わなかった」と慌てたことだろう。前原体制はもっと続いていたほうが、自民党には好都合だったはずだからだ。
もっと分かりやすい「自滅システム」は、民主党のテレビCMである。
どう見たってマイナスイメージにしかならない脱力系CMをせっせと流す。あれは一体誰の指示で、どこが作っているのか。
昨年末からは、荒れる海の上、甲板でしりもちをつく小沢代表に菅代表代行と鳩山幹事長が駆け寄り、両脇から腕を支えるという、目を疑うばかりの脱力CMがしつこく流れている。
この「荒波に揉まれる3人」バージョンの前は、小沢代表が犬と一緒に出てきて不気味な笑顔を作っているという、これまた気色悪さの極致といえるCMが流れていた。
「美しい国」などという気恥ずかしいコピーを臆面もなく繰り返す現政権の空虚さを突かなければならないときに、「生活維新」などというさらに空疎なキャッチコピーで、救いがたいセンスを露呈する。
大切にしなければいけない党費を使って、わざわざマイナス宣伝をするとは、どういうことなのか。
さらには、柳沢厚労相発言をめぐる国会審議ボイコット。
せっかく敵が自殺点を入れて同点にしてくれたのに、そのゲームで勝ちに行こうとせず、だらだらとボール回しをして、観客の怒りを買っているようなものだ。
あれでどれだけの国民に「やっぱりあいつらに国政は任せられない」と思わせたことか。
民主党内に、自滅システムを巧妙に動かしている人物がいるのだろうか?
それとも、よく言われているように、民主党という政党には「核」が存在せず、蚊柱のようなスカスカの存在なのだろうか?
スカスカだから、いかようにもコントロールできる。
あのテレビCMにしても、もし、広告代理店主導でああいうものを「作らされている」とすれば、その広告代理店を絶妙に動かしている頭のいい連中がいるのではないか。そうした頭のいい連中に、簡単にのせられ、踊らされる、甘い、空疎な集団──民主党。
その結果、民主党は非常に巧妙に作られた、自民党政権サポートシステムになっているのかもしれない。自民党政権にとって、「保険」である公明党に何か異変が起きたときに働くバックアップシステムとしての民主党……。
ああ……もしそうならば、もうこの国の政治にはなんにも期待できないではないか。
本当に、そうとでも考えなければ説明がつかないようなことを、次から次へと民主党はしている。
以前
「小泉純一郎ロボトミー説」というのを紹介したことがあるが、それ以上に、「民主党自滅装置説」には信憑性、現実味がある。
たけし軍団の先頭を切って、熱湯風呂やら接着剤地獄で揉まれてきた東国原知事よ、荒れる海の上で下手な芝居をしている民主党3人衆に言ってやってくれ。
「無理に笑顔を作って小芝居をする前に、『空気を読む』ことから勉強したらどうですか」と。