たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年9月13日執筆  2002年9月17日掲載

いつまでもつのか?

小説『鬼族(きぞく)』の中に、こんな会話が出てくる。

「子供の頃、時間と空間のことを考えて眠れなくなったことってなかった? 宇宙の始まりは今から150億年前のビッグバンだと誰かが言い出して定説になりつつあるけれど、そのビッグバンの前の時間はどうなっていたんだろうって。
同じように、宇宙の果てのことも考えたでしょ? 宇宙の始まりが今から150億年前なら、光より速いものは存在しないんだから、150億光年先が宇宙の果てということになるんだけれど、人間の感覚としては、その先にも何かがなければ変だと感じてしまうのよね。
極小の世界も同じことで、電子よりも小さなものがあるんじゃないか、それよりさらに小さなものがあるはずで、人間にはそれが感知できないだけなんじゃないかって、私なんかは思ってしまうのよね」
「時間の始まりと終わり、空間の果てのその先、素粒子のさらに内部の見えない世界……それで、先生はどう結論づけたんですか?」
「考えた末にたどり着いた結論はね、人間が肉体を持っている以上は、無限も有限も、理解不能な概念だってことかな」
「どういうことですか?」
「肉体には限界があるでしょう? 誕生と死によって、始まりと終わりが決められているし、無限に成長することもありえない。だから、肉体に支配されているこの世界では、人間は始まりや終わりのない世界とか、大きさの無限性ってことは、感覚的に……いえ、生理的にと言ってもいいかな……決して把握できないのよ。
同時に、自分を取り巻く環境が有限だということも、感覚として掴めないの。どちらも掴み取れないなら、考えても無駄だし、人間にとって、無限も有限も同じことよね。宇宙に果てがあってもなくても同じこと」


語っているのは、30代の女性で、遺伝子の研究者という設定だ。
少し長くなってしまったが、彼女が言うように、人間が想像できる世界、把握できる世界は限られている。
もっとはっきり言えば、自分が生きている間のことしか感知できない。感知はできなくても、ある程度「関知」はできるので、遺言状を書いたり、子供を教育したりする。
法律というのは、今生きている人間が、死んだ後もこうあってほしいという願いを込めて作成する、最低限度の社会的ルールだろうと思う。

さて、やはりというべきか、原子力発電所で、数々の不具合を隠蔽し続けてきたことが少しずつ明るみに出てきた。おそらく、世間に知られてまずいことは、もっともっとたくさんある。

決して壊れてはいけない部分にひびが入っている。でも、きっと次の点検まではもってくれるだろう。巨大地震が襲ったりしない限りは、多分……。もってくれれば、次の点検のときに見つけたことにして修理すればいいや。
次の点検までもつならば、きっと、自分がこの会社を辞めるまではもってくれるだろう。退職金をもらった後なら、たとえばれても、今の生活が壊れるようなことはないはずだ。どうか、自分が在職中はばれませんように……。
自分が会社を辞めた後も、どうせこうしたトラブルは続くに決まっている。でも、きっと、自分が生きているうちは大きな事故にはならないだろう。ならないといいなあ……。その先にも、核廃棄物の処理問題がついてまわるんだよなあ。完全に安全な処理なんて、永遠にできないだろうなあ。まあ、死んだ後に何が起きても、もうそのときは俺は存在していないのだから、そこまで考えてもしょーがないか。

人間はどこまでの時間を想像し、関知しようとするのだろうか。
自分が死んだ後、子供がいる人なら、子供が生きている間くらいの時間は想像するに違いない。だから、上の続きは、自分が死んだ後も、多分、子供が生きている間くらいは大丈夫だろう。いや、大丈夫であってほしいなあ……というところか。
では、孫の時間までは想像できるだろうか。孫が実際に目の前にいるならば、ある程度は想像するのかもしれないが、多分、何十年も先、自分が死んだ後に生きる孫の幸福(=自分は生きていないのでその幸福を感知できない)よりも、今、自分が裕福で、次の孫の誕生日にちょっと贅沢なプレゼントを買っててやれること(=今の自分が生で感知できる)のほうが大切だと感じてしまう。
今、社内で失脚したら、そうした幸せが脅かされる。それはまずい。なんとしてでも徹底的にトラブルは隠さなくては……となるわけだ。

別に原子力発電に限らず、現代では、ありとあらゆる経済活動が、こうした「時間の制限」から逃れられなくなっている。
地球が太陽に呑み込まれて消滅すると言われている50億年後のことまで考える人は、まずいない。おそらく、1000年先のことにも関知しようとはしないだろう。

言うまでもなく、現代文明を支えているのは石油だ。
石油が30年でなくなると脅されたのは今から30年以上前だが、今なお、幸か不幸か石油は潤沢に採掘できている。でも、多分、あと200年くらいが限度ではないだろうか。200年先には、石油が採掘できない社会が待っている。石油がなければ原子力も太陽光も使えないから、おそらく今の文明は壊滅的に衰退している。
ということで、まずは200年先あたりはひとつの目安になる。

しかし、その前に、森林破壊や水の汚染で深刻な状況になるに違いない。人口増加が限界を超えるのも、きっと200年よりは早い時期だろう。今の割合で世界人口が増え続けると、2050年には100億人を超えるという計算がある。しかし、この地球が100億人を養うだけの食糧と水を供給できると考えている学者は少ない。
ということは、世界人口が100億人に達する前に、食糧や資源を争奪する戦いが激化する。戦場となった国では、国土が疲弊し、戦闘以外でも、病気や飢餓でばたばたと人が死ぬ。こうして世界は「人工調節」をすることになる。

実際、先進国以外の地域では、すでにそうした事態になっている。
1年前まで、日本人の多くはアフガニスタンで何が起きているのか、人々がどんな暮らしを強いられているのかなんて、考えていなかった。いやが上にも知ってしまってからも、辛いから考えまいとする人が多いのではないだろうか。

つまり、我々は、50年先のことを想像できないばかりか、今起きていることも、自分に直接関わらないことなら、極力考えまいとする。

1年前、アメリカの旅客機を乗っ取って、乗客もろとも世界貿易センタービルに突っ込んだテロリストたちは、当初、原子力発電所に突っ込む計画を立てていたという。しかし、あまりにも取り返しのつかない結果を招くことを考えて、計画を変更した、というのだ。
本当かどうかは分からないが、このニュースが流れたとき、こう思った。
「自分が生きているうちには、多分、このひび割れが影響するような事故は起きないだろう」という願望のもとに原子炉の欠陥を隠した人間には、テロリストたちが持ちえた想像力さえなかったのだろうか……と。

それはそうだけどさ。まあ、多分なんとかなるんじゃない? え? あとどれくらいもつかって? そんなことは分からないけれど、100年くらいは……。いや、50年かな。えーと、俺が生きている間くらいは多分……いや、きっと大丈夫であってほしいなあ……。
と、思いながら、我々は今日も自分に直接関わっている小さな幸福(と思いたいもの)にしがみつき、無関心と思考回避の行き方を変えようとしない。
ああ、かなし~い人間!(ラーメンズ風)


幻の狛犬

■写真:幻の狛犬 (撮影・鐸木能光 1980年頃) アルバムに残っているのだけれど、どこで撮影したのか分からなくなってしまった狛犬。この狛犬の情報求む。 狛犬ネットはこちら→http://komainu.net






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