かみさんが、ジャズピアノを勉強したいと言うので、近所の楽器屋にデジタルキーボードを見に行った。ちゃんとしたハンマーアクションのキーボードを装備したデジタルピアノが、10万円以下でずらりと並んでいた。
YAMAHA、KAWAI、ROLAND、KORG、CASIO……。どのメーカーのものも、10年前に比べると格段の進歩で、鍵盤のタッチも音色も素晴らしい。
思わずため息が出てしまった。
もう、10年以上も前のことだが、『デジタル時代の音楽教育』という本を書きたくて、企画書をいくつかの出版社に持ち込んだことがある。うまくいかず、そのままになってしまっているのだが、骨子は以下のようなものだった。
- 日本の音楽教育は、譜面再生能力を養成することに特化しすぎていないか?
- 特に「ピアノのお稽古」は、バイエル-ツェルニー-ソナチネ……といったクラシックピアノの楽曲を、演奏能力習得段階にしたがって演奏させているだけで、音楽を自ら創り出したりアレンジして楽しむ能力を養おうとしていない。
- 現代では、MIDIによる自動演奏やデジタル楽器という便利なものがある。これを有効利用しない手はない。ところが、未だにピアノを家具のように考えて「見栄を張る」発想から抜け出せない親が少なくない。これはかえって精神の貧困さを露呈しているようで恥ずかしい。子供にはデジタルピアノを買い与え、創作的な音楽教育を施そう。
こうした主張は、僕自身の体験が色濃く反映されている。
僕はピアノはおろか、トイレのない貧乏長屋で幼少期を過ごした。トイレは戸外に共同トイレがあり、雪の日も雨の日もそこに行かなければ用を足せないという住環境だった。
母親はそれでも僕に音感教育を施そうと、どこからか安い足踏み式オルガンを買ってきた。
しかし、3歳になっていない子供に足踏み式オルガンを与えても無理というものだ。
2歳10か月から始めたという音感教育は、1年も経たずに挫折した。
次に与えられたのがヴァイオリンで、鈴木メソードの教室に通わされた。4歳くらいのときだっただろうか。これも貧乏長屋の周辺では奇異な目で見られ、近所の悪ガキどもにもからかわれたりして、長続きしなかった。
でも、僕の音感(移動ドの相対音感)は、主にこの時期に培われたものだと思う。
中学生のとき、作曲家になるにはどうしても鍵盤楽器をマスターしなければと思い、今度は自分の意志で近所のピアノ教室に通い始めたが、音大に通うちょっとヒステリーぎみの先生は、バイエルとハノンをやらせるだけだった。その単調さに音を上げて、やはりすぐにやめてしまった。
後から思えば、バイエルはともかく、ハノンは我慢してやるべきだった。指が動かなければ何も弾けないのだから。でも、バイエルはどうしても耐えられなかった。与えられたものしか弾けず、そこから発展するような気がしなかったからだ。
大学生のとき、再び、なんとか鍵盤楽器を……と思い直し、月賦でコロンビアのエレピアン1号機を買った。ベニヤ板でできていて、中を見ると、ハンマーが薄い鉄板を叩く方式だった。30万円弱くらいだったと記憶している。
当時、エレクトリックピアノはフェンダーのRhodesというのが代名詞的存在だったが、ジャズミュージシャンの中には、これが高すぎて買えず、エレピアンを愛用している人もいた(大徳俊幸氏とか……。あ、でも大徳氏は、貧乏だったからではなく、Rhodesよりエレピアンのほうが好きで弾いていたのかも……失礼失礼)。
エレピアンは、家にきて3日くらいでなんとかちょっと弾けるようになった。ギターと同じで、単音が弾けなくても、コードが弾ければいいやという発想で臨んだ結果だった。
その後、曲のデモテープなどでは自分でキーボードを弾くことも多かった。20代になって、ようやく鍵盤楽器を身近なものにできたわけだ。
そうした体験を経てきた人間としては、今のデジタルピアノの性能は、本当にまばゆいばかりである。こんな楽器が子供の頃にあったら、どんなによかっただろうと思う。
デジタル楽器が子供の頃にあったら、どんなに楽だったろう。
……かみさんと一緒に、店頭に並んだデジタルピアノを触りながら、複雑な気持ちになる。
そう思うと同時に、しかし、実際に今の子供たちはこうした素晴らしい道具を簡単に手に入れられる環境にありながら、音楽を楽しんでいるのだろうかという疑問がわいてくる。
目の前のデジタルピアノの中には、鍵盤に触れただけで勝手に伴奏がついたり、あらかじめプログラムされた曲があたかもその人が弾いているかのように再生されるなどという仕掛けのものもある。でたらめに鍵盤を弾いても、ちゃんと曲になるのだ。
人間は染まりやすい。
デジタルの魔法があまりに強力すぎると、それをコントロールする力を得る前に、楽器に使われてしまうのではないだろうか。
デジタル楽器の便利さ、素晴らしさは、手放しで喜んでばかりもいられないのかもしれない。
「ループもの」と呼ばれるサンプリング音楽や、単調な電子ビートに埋め尽くされたデジタル音源だけの音楽に熱中し、楽器を演奏しているというよりは、テレビゲーム機のコントローラーを巧みに操作しているかのようなミュージシャンが増えていくのを見ると、どうしてもそうした思いを抱いてしまうのだ。
そんなことを言うと「おっさん、すっこんでな」と言われそうだが……。
さて、いろんな思いを抱きながら店頭で弾き比べた挙げ句、展示処分品で79800円になっていたデジタルピアノを購入した。自分で弾くわけではないが、ああ、この楽器が30年前にあったらなあ……と、やはりため息は出てしまうのであった。
はたして、夫婦でセッションできる日は来るのであろうか……。うむむむむ。