たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年11月8日執筆  2002年11月12日掲載

デジピがやってきた


先週号で書いたデジタルピアノが、さっき届いた。
第一印象は、「でかい」。
たかがデジピと高をくくっていたのだが、大人が二人でようやく運べる重量と大きさの代物だった。ハンマーアクション鍵盤の部分が重いのだろう。
普通のピアノと同じで88鍵あるので、横幅もかなりのものだ。

タヌパックスタジオに置いてあるデジピは、15年以上前に購入したもので、76鍵モデルだ。音源もサンプリング音源ではなく、合成音だから、ピアノのような音はしない。
スタジオで、MIDIの入力装置として使うのが目的だったので、MIDI入出力関連の機能が充実していることを重視して選んだ。いわば、ジャズやポップス系のプロ・ミュージシャン仕様だ。

そのモデルに比べると、今回買ったのは、いわゆる「お子さま向け」デジピである。
子供にピアノを習わせたいけれど、本物を買うだけの予算も環境もない(生ピアノの音は、ちょっとやそっとの防音では役に立たないほど暴力的なパワーを持っているからなあ……)、という親が購入することを想定して作られている。
だから、見た目も家具調というか、居間に置いて違和感がないような木目仕上げだし、MIDI入出力端子はあるものの、細かな設定機能はほとんど省略され、そこでそのまま弾いて「ピアノらしい」音が出ることを最重視し、設計されている。買ってから気がついたが、外部出力端子さえついていない。
その代わり、ヘッドフォン端子は2つついている(端子の位置がキーボードの下という使いにくさはなんとかしてほしい)。親や先生が隣でモニターしながら練習する場面を想定してのものだろう。

この手の「従来型ピアノのレッスン志向」デジピは、さらに、ポップ系音楽志向モデルとクラシックピアニスト訓練志向モデルに分かれるようだ。
前者は、内蔵音源も数多く、特にドラムセットやパーカッション類が充実している。かつての電子オルガン教室の発想を、もっと音的にリファインしたような感じだろうか。リズムマシン内蔵は当然のこと、オートアルペジエータ(勝手に分散和音で伴奏する機能)とか、オートコードビルダー(根音を押しただけでも、コードネームを指定すると和音を作ってくれる)などを装備したものもある。

今回うちにやってきたデジピはそうではない。完全なクラシック志向のようだ。MIDIによる内蔵レコーダーは1800音で、ちょっとした練習の確認はできるが、それ以上のものではない。
音源はわずかに8音色。リズムマシンも内蔵されておらず、味気ないメトロノーム音が鳴るだけだ。
その代わり、鍵盤にはかなり力が入っていて、グランドピアノの鍵盤アクションとほとんど変わらないくらい、絶妙な反応をする。これは本当に感心してしまう。79800円(店頭処分価格だが)でこれほどのものが手に入るとは、すごい世の中になったものだ。

ところで、デジピにはたいてい、デモ演奏用のMIDIデータが内蔵されている。
うちにやってきたデジピも、54曲分の演奏データを内蔵していた。
『きらきら星』『メリーさんのひつじ』『ロンドン橋』など海外の童謡。『ジングルベル』『きよしこの夜』『もろびとこぞりて』などのクリスマスキャロル。『胡桃割り人形』(チャイコフスキー)『ウィリアムテル序曲』(ロッシーニ)などの、小学校の音楽で聴かされるクラシックの定番もの。『峠の我が家』『草競馬』『ケンタッキーの我が家』など、フォスターの歌曲……などなど、よくある選曲だ。
普段は馬鹿にしてしまうところだが、目の前で自動演奏が始まると、素直に、ああ、この曲ってやっぱり名曲として残ってきただけのことはあるなと感心してしまう。
MIDI信号で、サンプリング音源を鳴らしているだけだから、通信カラオケと同じなのだが、不思議とCDやラジオで聴くのとは違う感覚になるのだ。
それを聴きながら、ああ、子供がいたら、早いうちからこうしたものを聴かせたほうがいいに決まっているな、と思った。

人間の耳の能力は、幼児期にほぼ完成してしまうと言われている。メロディーに対する音感にしても、言葉の聞き取り能力にしても、大人になってから身につけるというのは非常に難しい。いや、ほとんどの場合は、不可能に近いような気がする。
それを考えると、小さいときに聴いていた音楽が、その人の音やメロディーへの嗜好を決定づけてしまうのではないだろうか。
僕が今「いい音楽」と感じる、この感覚を作ったルーツは、幼児期に聴かされた音楽にあるのかもしれない。つまり、このデジピに内蔵されている54曲に代表されるような、分かりやすい西洋音楽のメロディーだ。

ということは、僕が一生をかけて追求しようとしている「よいメロディー」の正体も、実は単なる幼児体験、すり込みによって形成されたものであり、別に人間にとって普遍の価値であるとか、絶対的な真理などではない。
……ん? 俺の音楽人生のルーツは『きらきら星』なのか?

もちろん、趣味や嗜好は歳を取るにつれて変わっていく。『きらきら星』の単調さに飽きて、もっとかっこいいメロディーや和音、刺激的なリズムを求めるようになり、ロックやジャズを聴くようになり、そのうちにボサノバが心地よくなる……というような変化はある。でも、それも、元をただせば『きらきら星』なのかもしれない。
自分にとっての「いいメロディー」は、たまたま通った音楽教室の教則本に掲載されていた練習曲とあまり変わらない価値観に根ざしているような気がする。
また、そう思えば、自分がいいと感じる音楽を他人が認めない不幸なんて、つまらない悩みだと気づく。
自分がおいしいと感じる味を、多くの人が同じようにおいしいと感じてほしいけれど、「こんなまずいもん、よく食えるね?」と言う人間のほうが多かったからといって、自分の人生が否定されるわけでもない。

ところで、このデジピには、「オリジナル」としか書かれていないデモ曲が3曲入っている。説明書を見ても、作者も、曲のタイトルも書いてない。単に「オリジナル」とだけ記されているのだ。
どれもかっこいい演奏データで、今の僕にはこの3曲のほうが『きらきら星』や『おじいさんの古時計』より、感覚的には肌に合う。
しかし、この3曲が、他の51曲に比べて名曲かというと、そうは言えない。何度聴いても覚えられないようなメロディーだし、頑張ってこの曲を演奏してみたいとも思わない。
言ってみれば、その程度の「かっこいい曲」でしかない。かっこいいリズムやコードの「肝」をマスターしたプロなら、それほどの苦労もなく作れてしまうかもしれない。

それにしてもである。曲名も作曲者名もなく、ただ「オリジナル」はないだろう。
この3曲の「オリジナル」を作ったのはおそらく同一人物だろう。
「ねえ、○○ちゃん。デジピの内蔵演奏データに使えるセンスのいい曲作ってよ。もちろん買い取りだけどね。著作権関連が面倒だから、タイトルも作者名も出さないけど、よろしく」
そう頼まれて、「こんな感じでいい?」と、渡したに違いない。

多分、このメーカーのデジピには、他のモデルでもこの3曲が自動演奏データとして入っているのだろう。としたら、世界中でずいぶん多くの人が一度は耳にすることになる。中には気に入って、何度も再生する人もいるかもしれない。
でも、この3曲の作者は知られることがない。JASRACに名前を記すこともないどころか、曲にタイトルをつけることさえ許されなかったのだ。全国の子供たちが、これ、かっこいいなあと思いながら聴いているかもしれないのに、子供たちに自分の存在を知ってもらえない。

今日もどこかの楽器店店頭で、この曲の作者は、そっと自動演奏ボタンを押して、自分の作品を再生しているかもしれない。
ああ、なんて哀しいのだろう。
『世にも哀しい物語』シリーズに加えたいような話だ。
こういうのって、教育上よろしくないと思うなあ。

うさぎ

挿画 A Rabbit
(c)tanuki (http://tanuki.tanu.net) ★よく間違われるかたがいらっしゃいますが、挿画担当のtanukiと文章担当のtakukiは別人です。



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