たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2003年3月14日執筆  2003年3月18日掲載

悲運の?女子長距離ランナー名鑑

3月9日の名古屋国際女子マラソンが終わった翌日、日本陸連から今年の世界陸上競技選手権大会(8月末にパリで開催)の男女マラソン代表選手5人ずつが発表された。
なぜか、どのメディアもすごく小さな扱い、あるいは無視だった。恐らく、オリンピック代表選考に比べると地味だし、波乱もなかったから人々の関心を引かないと判断されたのだろう。
面白くないなあ。

僕は以前から陸上ファンで(自分ではまったくやらず、もっぱらテレビ観戦だが)、どんなスポーツより陸上観戦が燃える。ネット語?的に言えば「陸上萌え」男。
なぜ陸上なのか?
まず、完全な個人競技だという点が○。勝っても負けても自分の責任。これが好き。
勝負がはっきりしているところも○。採点競技みたいに、審判団の不可解な判定でもめることはない。
陸連やスポンサーなどの思惑に振り回され、政治的な駆け引きに巻き込まれることは多々あるが、それでも、勝てば誰もが認めてくれるし、逆に言えば、どんなに周りがお膳立てしても、実力のない者は勝てない。
あとは、清貧の香りも○。常人の想像を超えた努力の末に,日本一、あるいは世界レベルの選手になったとしても、ポルシェを乗り回したり豪邸に住んだりする選手はほとんどいない。
短い現役生活が終われば、所属企業からも冷たくリストラされる運命が待っている。いや、最近ではバリバリの現役選手でさえ、企業の陸上部が解散し、路頭に迷うことがある。
それでも選手たちは、自分の体力、精神力の限界に挑戦し、散っていく。
ああ、美しいっ!

無責任な観戦者としては、競技における勝負の行方はもちろん堪能できるが、それ以上に、陸上選手の生き様や、ここ一番での運不運というドラマに圧倒され、感動する。
そしてどうしても、圧倒的な強さを誇った選手よりも、不運に泣いた選手、あと一歩で栄光を逃した選手、ずっと二番手として隠れていた地味な選手たちのほうが深く記憶に残る。
今回は、そんな選手たちへの想いを込めて、「個人的・記録よりも記憶に残る女子長距離ランナー名鑑」を作ってみた。

田村有紀
……日産自動車陸上部で、一時はただひとりの女子ランナーだった。清楚な風貌で、特に男性ファンが多かった。
ソウルオリンピックの1万メートル代表選考をかけて走った日本選手権で、あと数秒で参加A標準記録の33分を切れなくて涙を呑んだ。その後、精神的につらい時期が続いたらしいが、復帰への努力を続け、様々なレースで元気な姿を見せていた。
今でも個人的にはベストメモリー賞をあげたいランナー。

麓みどり
……今回、パリ世界陸上の男子マラソン代表に滑り込んだ清水康次選手の奥さん。旦那さんともども、企業のリストラなどで苦労した。民放的なキャッチフレーズをつけるなら「走る良妻」か。
聡明で嫌みがないキャラクター。潜在能力は相当なものがあったと思うけれど、いつも二番手に隠れていた。
シドニー五輪代表の最終選考会となった2000年の名古屋国際女子マラソンで、一時は高橋尚子と一緒に先頭を走り、おおっと思わせた。結果は2時間27分55秒で4位。立派。
今は清水康次の奥さんとしてたまに映る。清水康次は、今ひとつ覇気を感じさせない風貌で損をしているが、麓みどりの旦那なんだなあということで、僕としては複雑な気持ちで旦那も応援しているのである。

吉田直美
……アトランタオリンピックの代表選考をかけた1995年の東京女子国際マラソン。今なお語り継がれる37.8km地点での浅利純子、吉田直美、後藤郁代の3人同時転倒シーン。
ビデオをスロー再生してみると、浅利が前を行く吉田の踵を踏んでいるのがはっきりと分かる。吉田は転倒だけでなく、浅利に踏まれて脱げた靴を履き直したために大幅なタイムロス。巻き添えを食った後藤はショックで盛り返せなかったが、吉田は果敢に猛追。ゴールでは浅利に遅れること10秒差の4位だったが、靴を履き直していたタイムロスを考えると、転倒地点からゴールまでの距離をいちばん速く駆け抜けたのは吉田だった。つまり、転倒がなければ、このレースは吉田が優勝していた可能性が高い。
この「もしも」は、バルセロナオリンピックのときの谷口浩美と同じ。谷口はゴール後に「こけちゃいました」と笑顔で語ったことで永遠のヒーローとなったけれど、吉田直美の悲劇を覚えている人は少ない。あのレースで優勝した浅利は、「転倒にもめげず復活したヒロイン」に祭り上げられ、その後も何かにつけマスコミに注目されたが、吉田は最後まで目立たぬ存在に甘んじた。
有森裕子と同じリクルート所属だったことも、吉田にとっては不運だったかもしれない。ここ一番で運を掴んでいった有森と、ここ一番で取り返しのつかない不運に見舞われた吉田。何が人の運命を分けるのだろうと、考えてしまう。
そういえば名前も地味かなあ。同姓同名が日本中にどれだけいるだろう。

弘山晴美
……彼女の悲運ぶりは今さら説明するまでもない。
シドニーオリンピック代表選出をかけた2000年の大阪国際女子マラソン。弘山は2時間22分56秒で2位。この記録は当時の日本歴代3位、世界歴代9位!に相当する記録だった。
あのとき、陸連が早々と代表に選出していた市橋有里も、見方を変えれば悲劇の選手だったかもしれないが、年齢や競技歴の長さ、実績を考えれば、弘山をシドニーオリンピックマラソン代表として送り込めなかったことは、「日本の無念」と言ってもいい。
旦那さんの弘山勉氏も、90年の福岡国際で2位(日本人1位)になったときは、これで中山竹通の後継者が現れたか、と喜んだものだが、その後、脚光を浴びることはなく、今では完全に「弘山晴美のコーチでもある夫の勉さん」として有名になってしまった。
夫婦共々地味なキャラクターで、「なにもそこまで暗い顔しなくてもいいのに」と思ってしまうのだが、弘山晴美にはどうしても「もう一花」を期待してしまうなあ。
一時は女子トラック長距離全種目の日本記録保持者だったが、今ではすべて若い選手たちに奪われてしまっている。どこかにもう一度くらい、彼女の舞台は残っていないのだろうか。

山口衛里
高橋尚子、市橋有里と一緒にシドニーオリンピック代表となり、7位入賞を果たした。
代表選考会となった1999年11月の東京国際女子でいきなり2時間22分12秒というとてつもない記録でぶっちぎり優勝したときの印象が強烈だが、実は1973年生まれである彼女の競技歴は長く、あのレースに至るまでにはかなりのマラソンや駅伝を走っている。
まったくノーマークの選手がいきなりぶっちぎり優勝してオリンピック代表になった点で、小鴨由水(92年の大阪国際女子で2時間26分26秒で優勝。日本人女子選手で初めて27分を切り、日本中をあっと言わせた)と比較されることもある。恵まれた才能とデリケートな神経を持ち合わせた高性能スポーツカーのような選手という意味では、確かにそうかもしれない。
小鴨はオリンピック本番ではボロボロになってしまったけれど、山口は他の選手と接触しながらも7位に入ったのだから、もっと誉めてあげなくちゃ。高橋尚子の「日本人女子陸上選手初の金メダル」という快挙の陰にかすんでしまったが、山口のドラマもまた、高橋以上にものすごかったと思う。
故障が長引いているようだが、東京国際での勝ちっぷりは本当にほれぼれした。もう一度くらい驚かせてくれないものだろうか……。

千葉真子
97年のアテネ世界陸上女子1万メートルで3位。「アムステルダム五輪(1928年)の人見絹枝(800メートル2位)以来の快挙」を、どうもみんな忘れてしまっているような気がしてならない。
どこかネジが2本くらい外れているようなキャラクターで、男の子たちのファンも多く、「ちばちゃん」「ちばま」の愛称で呼ばれる人気選手だった。
そのちばちゃん、旭化成を石もて追われるように去ってからは苦労続き。何があったのかは知らないが、あの一件以来、宗茂旭化成陸上部監督には、ずいぶん敵役のイメージがついてしまったのではないだろうか。(まあ、どっちが悪いとかではなく、やることが大人げないのでは? ……とは思う)。

今回、ちばちゃんは2時間21分45秒(日本歴代4位)という堂々たる記録を手に、晴れて世界陸上代表に選ばれた。これは面白い!
陸連は「第9回世界陸上選手権大会でメダルを獲得した男女マラソンの競技者の中で、男女マラソンそれぞれの日本人最上位1名を(アテネオリンピックマラソン競技の)代表選手とする」と明言している
もし、ちばちゃんがパリの世界陸上で日本人トップの3位になったりしたら、陸連のお偉方は内心穏やかでないかもしれない。
外野としては勝手に、松野明美、弘山晴美と続いた「五輪1万メートル代表選手の恨み」を晴らせ! などと、ひっそり盛り上がってみるのである。




さて、「世界陸上でメダルを取れば即オリンピック代表に決定」という「特別枠」は、高橋尚子か渋井陽子が押さえるという見方が有力だった。実際、高橋はそれを狙っていたし、誰よりも陸連がそう願っていたに違いない。
前回、大もめにもめる原因となったこの悪しき「特別枠」を、こりもせずに再び設定したのは、そうした思惑があったからだと、外野席の僕は勝手に「邪推」してしまうのだ。

今回の世界陸上女子マラソン代表5人の中には、高橋尚子も渋井陽子も土佐礼子もいない。
もし、5人の代表のうち誰かが「世界陸上でメダル」となれば、残るオリンピックへの切符は2枚だ。
女子マラソンの日本歴代10傑は2時間23分台以内に収まっている。しかも全員が現役。この10傑の残り9名(これからさらに増える可能性も大)が2枚の切符を争うのだ。すさまじいドラマになるに違いない。
願わくば、現役を退いたおじさんたちが暗躍する政治的なドラマで、悲運のランナーが生まれませんように。

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挿画 outside (c)tanuki




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