たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2003年5月9日執筆  2003年5月12日掲載

あなたの音感は何型ですか?

十代の頃から作曲家になることを目標にしてきた。メロディーを創ることが自分の人生においていちばん最上位の価値であると決めていた。
48になった今でもその気持ちは変わらないのだが、未だに悩むことがある。
そもそもメロディーとはなんなのか? 一生をかけて追求するに値するものなのか?

この疑問は若い頃からずっと持っていて、小説『グレイの鍵盤』などにテーマとして盛り込んだりもした。
悩み続けた結果、分かったことはこういうことだ。


1. メロディーの価値は相対的なものである。絶対的に美しいメロディー、あるいは万人が感動するメロディーというものはない。

2. メロディーをどう感じるかは、個々の人間の「音感」によって変わる。母国語が違う人間同士が完全な意志疎通を図ることが難しいように、音感が違う人間は同じメロディーを「違う聴き方」をしている。

3. 音感は幼少時、聴覚の発達が終了する頃固まる。その固まり方によって、いくつかの「音感型」に分類できる。それ以降では新たな音感を身につけることは極めて難しい。(一旦固まった「音感型」を変えることは難しい。)

4.音感が違っていても、「よいメロディー」だと感じるメロディーにはかなり共通性がある。違う音感を持った人間が、同じメロディーを共通して美しい、あるいは「よいメロディー」だと感じることはよくある。いわゆる「スタンダードナンバー」と呼ばれるようなメロディーは、それを「よいと感じる音感型」の幅が広いメロディーと言えるかもしれない。
5. 音感は幼少時に固まるが、音の「好み」は訓練や経験によって変化していく。


1.に関しては、音楽に限らず、あらゆる芸術に言えることなので、別に今さら驚いたり悲しんだりする必要はない。万人が美しいと感じる美男・美女、万人が可愛いと感じる動物、万人が感動する美術作品というものもない。

問題は2.~5.だ。
多くの人は、4.や5.の現実があるがために、2.について考えようとしないし、気がつきもしない。
もちろん、音感について何も考えない人生でもいっこうに構わないが、音楽教育の現場では、永遠に追求していくべきテーマだろう。

「音感型」という言葉は、僕が勝手に作った言葉で、多分一般には使われていないと思う。
どういうものか興味のある方は→こちらに「音感型判定ページ」なるものを作ったのでお試しを。

そういえば、以前、音楽の話題を出したとき、読者の一人が「演奏中に少しづつ音が高くなって、最後には1音上になってしまうデータをつくってみました」というメールをくださった。「だまし絵」のような音楽データだ。
アナログの時代には誰でも簡単にこうしたデータを作れただろう。ターンテーブルやテープレコーダーの速度調整つまみを少しずつ少しずつ回して、気づかれないように回転数を上げていき、曲の最初と最後で1全音分音の高さが違うように再生すればよい。
しかし、録音機も再生機もデジタルになってしまった今、こんな遊びをすることも難しい。
もう一度聴いてみようと思ってそのサイトを再訪してみたが、撤去してしまったのか、ただのMIDIファイルに差し代わっていた。残念。

3.については、昔から音楽教育の現場では知られている。「絶対音感を身につけるなら就学前までに」とよく言われる。
ちなみに「絶対音感」という言葉は定義がいろいろあり、多くの人は誤解しているように思う。ずいぶん前に話題になった『絶対音感』(最相葉月)という本は、その誤解をさらに増大させることになったようだ。
「絶対音感の持ち主」と「その他大勢」という単純な図式ではない。「音感型」はいくつもある。音感型の中のいくつかは、幼少時でないと身につかないことは確かだが、どの音感型が最も「音楽的に優れている」かを論じるのは間違いだろう。その人の音感型にあった音楽の楽しみ方、音楽の探究方法があるのだから。

音感は幼少時に固まるが、音の好みが現れるのは思春期以降で、その人の音楽人生を決定づけるのはむしろ思春期の音楽体験のほうが大きな要素かもしれない。
思春期には性に対して過敏になり、強烈な欲求を抱くが、同じように音に対しても過剰な反応をする。
乱暴な言い方をすれば「何にでも感動する」時期なのだ。
アコースティックギターをジャーンとかき鳴らしただけの音にも感動するし、ドラムのシンプルで野太いビートにも感動する。ある人はディストーションギターの歪んだ音に快感を覚えるし、ある人はゴスペルコーラスの緻密な和声に痺れる。
思春期にどんな音楽に感動したかは、その人の一生に記憶として残り、歳を取ってからは、純粋に音楽的な楽しみという要素以外(想い出、ノスタルジー)の部分で感動する。
また、多くの人は歌に対してはメロディー以上に歌詞への思い入れが大きく、思春期の体験と歌詞を重ねて感動するが、それは純粋な意味での「音楽の感動」とは少し別のものかもしれない。

5.の「音の好みの変化」は、消極的な変化と積極的な変化があるように思える。
肉体的な衰えによって過大な音量や単調な刺激に耐えられなくなるというのは消極的な変化。大音量のロックを聴いていた人が、中年以降は聴けなくなるというようなパターン。
積極的な変化とは、その人の「音感」の幅が広がっていくことによって、それまで感じなかった刺激に目覚めるというもの。より複雑なリズムや和声に感じるようになると、今までとは違う刺激を感動に変えられるようになる。
これには、その人にとっての「新しい音楽」を聴く意欲が不可欠だろう。新しい感動を得るには、好奇心と努力が必要だ。
音楽家の場合は、超人的な訓練を重ねた結果、大多数の人間の音感からはみ出して、ある種の先鋭的音感(たとえばテンションとして響く音列や和音)だけを発達させ、大衆からは理解されづらい孤独な世界にたどり着くかもしれない。

テンションといえば、以前、WEB上で「Fのブルースを自動生成するCGIプログラム」というのを見つけた。Perl言語で書かれていて、リロードする度に「新曲」が作成され、聴けるというページ。
ジャズの場合、テンションはかっこよさでもあるから、どれもそれなりに鑑賞に堪えうる曲になってしまう。MIDIの自動演奏だから、超絶速弾きフレーズもなんのその。
作曲とはなんなのか? と考えてしまうと同時に、ジャズの価値はどこにあるのかを見直してみるべきかな、などと感じさせるものだった。速弾きのアドリブを競うと、行き着く先はこの世界なのではないか……と。

今では「メロディー自動生成」プログラムはシーケンスソフトのオマケについてきたりするし、フリーソフトとしていくつも発表されている。「作曲ほいほい」だの「Virtual Composer」だの、他にもたくさんたくさんあるようだ。
コンピュータソフトが作ったメロディーの著作権は誰にあるんでしょうね。


さてさて、理屈をこねまくっていても仕方がない。作曲家は「よいメロディー」を創る努力をすればよいのだ。「よいメロディー」の定義に悩んでいても、数学のように唯一絶対の答えなど出てこない。
大雑把にいえば、よいメロディーとは:

1. より多くの人が感動するメロディー
2. 自分が感動できるメロディー

の2つに集約されるだろう。1.と2.が一致していれば幸福なことだが、一致しないこともある。どちらかを選ばなければいけないとしたら、僕はもちろん2.を選ぶ。
その意味においては、悩む必要などまったくない。

spider
■挿画 spider. (c)tanuki



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