たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2003年6月13日執筆  2003年6月17日掲載

石工・小林和平を讃える

お袋に小林和平の狛犬のことを話したら、「死ぬ前にぜひ一度見たい」とねだられ、両親を連れて南福島三大狛犬巡りをする羽目になってしまった。
南福島三大狛犬(勝手に命名)とは、都都古和気(つつこわけ)神社(東白川郡棚倉町八槻)の天保11年建立の狛犬石都都古別(いわつつこわけ)神社(福島県石川郡石川町)と古殿八幡神社(福島県石川郡古殿町)にある小林和平が作った狛犬(昭和5年と7年建立)の計3対のことである。
小林和平という石工は、恐らく文化史的には無名だろう。GOOGLEで検索しても、僕が書いているコラムや狛犬ネット内のページがヒットするだけで、資料は見つからない。
しかし、この石工の技術と才能は図抜けている。
僕は今まで数千の神社を見て回っているが、彼を超える石工はまだ見つからない。

その話を聞き、お袋が「連れて行ってよ」と言い出したわけだ。
両親は共に昭和3年生まれだから70代半ば。石川町や古殿町はどこからどう行っても遠いので、そうそう気軽には行けないが、「死ぬ前に一度見たい」と言われると、無碍には断れない。
東北道を矢吹インターチェンジまで北上し、そこからまずは石川町の石都都古別神社、次に古殿町の古殿八幡神社、最後に棚倉町八槻の都都古和気神社……というルートで案内した。
どの狛犬にも感心した様子だったが、特に小林和平の狛犬2対は、「すごいわねえ」「よくこんなもの(デザイン)を考えついたわねえ」などと何度も口にし、見上げていた。
一緒に来た親父も、十分楽しんでいたようで、たまには親孝行ができてよかったと思う。

遠出をしてでも狛犬を見たいという親を持っていることも幸せなのかもしれない。普段はほとんど意見が合わず、些細なことで親子喧嘩が絶えないのだから。
特にお袋は強い性格で、気に入らないものや凡庸なものには容赦しない。例えば、随身門の中の随身像には「なんでこんなつまらないものを置くのかしら」などと平気で言う。そういう性格なので、もちろん、僕の狛犬趣味に合わせて「すごいすごい」と言っているわけではなく、心底感嘆したようだ。帰路の車中でも、何度も「来てよかった」「本当に今日はいいものを見た」と言っていた。

それにしても、これらの狛犬たちが、あまりにも軽く扱われているのが残念だ。
都都古和気(都都古別)神社は、八槻の他に同じ棚倉町の馬場というところにもあり、どちらも「奥州一の宮」を名乗っている。石川町の石都都古別神社も由緒ある古社で、そのため、WEB上にはこれら3つの「つつこわけ」神社について紹介したページが結構たくさんあるのだが、狛犬のことはまず書いてない。随身門や拝殿の写真はたくさん掲載されているのに、狛犬の写真はない。

要するに、誰も分かっていないのである。
特に、小林和平の凄さを分かっていない。
後ろ脚を宙に向かって蹴り上げ、飛んでいるようなポーズ。親獅子にまとわりつく子獅子の生き生きした表情と仕草。その子獅子の歯の一本一本や口の中の舌まで細かく彫り上げた仕事の細かさ。尾や鬣(たてがみ)のデザインの素晴らしさ。どれを取っても、狛犬美術の最高水準を誇っている。
ユニークなデザインの狛犬はよくあるが、技術が伴っていないことも多い。弘前の名石工・山内三次郎は、デザインは秀逸で大好きだが、石の彫りがやや浅いという弱点がある。
長野県鬼無里村の石工・戸谷加蔵は、高い技術を誇るが、狛犬の美しさや構成の大胆さという点ではそれほど秀逸ではない。
和平のように、高い技術と自由な想像力が高次元で融合している石工は極めて珍しい。

狛犬はただでさえ軽く扱われる。
平安や鎌倉の木彫狛犬には重要文化財指定のものもあるが、石の狛犬は時代が新しいせいか、文化財としても美術品としても、不当に低く見られている。
日本の洋画家たちの作品が高額で取り引きされることなどに比べて、実に理不尽な思いがしてしまう。
せめて町役場や教育委員会がPRに努めたらどうなのか。
石川町は「日本三大鉱物産地」を名乗り、「石の町」をアピールしているが、絶好の「石の造形物」がありながら、観光案内にさえ載せていない。(ちなみに狛犬は町役場のすぐ隣にある。)
古殿町は「流鏑馬(やぶさめ)の里」をアピールしていて、その舞台が古殿八幡神社なのだが、狛犬にはまったく興味がないようだ。
昭和以降の石造り狛犬など、文化財にも指定しようがないということなのだろうが、石のアートとして、小林和平の狛犬ほどのものは、後にも先にももう出てこないだろう。
まずは地元の子供たちにこの宝物のことを教えたらどうか。
郷土の誇り・狛犬史上最高のアートを完成させた石工・小林和平。
審美眼を養うのに絶好のモデルだ。
素晴らしい芸術は時代など関係ない。よいものはよいのだ。

現在、日本で狛犬を手彫りで作れる石工は数えるほどしかいない。神社に奉納されている新しい狛犬は、ほとんどが中国製や韓国製で、国産ですらない。
もちろん機械彫りで、人間が鑿だけでこつこつ彫っているわけではない。
デジタル文化にばかり浸っていると、アナログの力がいかにすごいか痛感させられる。
同時に、現代石油文明が破滅するまでは、人間はアナログ文化の質をもはや上げることができないのではないかと感じる。
コンピュータのCPU性能が上がっても、超高層ビル世界一が入れ替わっても、小林和平くらいの力を持って、人を感動させる石工はもう出現しないかもしれない。

古殿八幡神社を後にしようとしたとき、入れ違いに中年の夫婦が一組やってきた。男性はカメラで小林和平の狛犬を撮影し始める。
「狛犬(が目的)ですか?」
と訊くと、「ええ」と、少しはにかんだように答えた。
狛犬ネットでこの狛犬のことを知ったのだろうか、などと想像しながら、一足先に神社を後にした。

……とまあ、これだけ誉めれば、小林和平も、今頃あの世で「ようやく俺の凄さが分かり始めたか」とほくそ笑んでいるだろう。



石都都古別神社の狛犬とお袋
■石都都古別神社の狛犬を見上げるお袋
昭和05年1月30日建立 石工・小林和平
詳細は→狛犬ネット(https://komainu.net)



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