たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2003年7月4日執筆  2003年7月8日掲載

お笑い大国ニッポン

最初に断ってしまうと、AICの中心的読者層である海外在住の人たちには、今回の話はほとんど「見えない」かもしれない。
現在、日本で活動している若手のお笑い芸人たちの話をしてみたい。

かつて「漫才ブーム」と呼ばれた時期があった。ツービート、島田紳助・松本竜介、ざ・ぼんち、B&Bなどといった漫才コンビが異常な売れ方をし、連日テレビに出ていた。明石家さんまなども時を同じくして売り出した。

今、日本ではそれ以来のお笑いブームが到来していると言われている。数からいえば、あのときの何十倍という若いお笑い芸人たちが競い合っている。
この若手芸人たちの中には、大変な才能を持った連中がいる。

特に、ラーメンズバナナマンおぎやはぎの3組は群を抜いていて、彼らが生み出す笑いの世界は、かつての漫才ブームの頃よりも確実に質が高い。
他にも、ドランクドラゴンアルファルファカリカといったグループもよいものを持っている。
こうした芸人たちを同時代人として見られることはすごく幸せなことだと思う。
現在の日本は、お笑い大国かもしれない。女子マラソン界と同じくらい、才能豊かな人材にあふれている。

幸せだと思うと同時に、これだけの才能を、メディア、特に地上波テレビがつぶしてしまうことをとても危惧している。
地上波テレビ番組は、芸を芸のまま流すことを拒否しているからだ。人気が出ると、番組の中で司会をさせたり、その場限りの会話で安直な笑いを引き出す役を与える。
若い芸人たちの中にも、テレビにそうした使い方をされることが「売れて一流になること」だと思って、「早く芸をしなくてもよい芸人になりたい」と願っている者が多い。

ラーメンズの小林賢太郎は、テレビに出ることの危険性を十分知っていて「テレビは嫌いだ。極力出たくない」と言いきっている。実際、最近ではあまりテレビで見ることがなくなった。
しかし、現実問題としては、地上波テレビに出なければ広く知ってもらうことができず、広く知ってもらえなければ、活動を続けていくことが難しくなる。
僕も、彼らの存在はすべてテレビを通じて知った。ラーメンズが「テレビには絶対に出ない」というポリシーを最初から貫き通していたら、未だに彼らの芸を知らないままだろう。
そこが難しいところだ。

漫才ブームより少し前、今のラーメンズ、バナナマン的な知的笑いを生み出す芸人として、東京乾電池(柄本明、ベンガル、綾田俊樹の3人が旗揚げし、後に高田純次、小形雄二、岩松了らが参加。1978年の公演『おどろき桃の木漂流記』をジアンジアンで観たときは、世の中にこんな面白いものがあったのかと大感激したものだ)やシティボーイズ(きたろう、斎木しげる、大竹まこと。今なお3人で公演を続けているのは偉い!)などがいた。
彼らが最も面白かった時期は、彼らが最も貧乏だった時期に重なっている。テレビに出ることでどんどんパワーが落ちていったが、やはり、テレビの力がなければ芸人を続けることは困難だったろう。
貧して鈍して、芸人人生を諦めたり、あるいは今頃、ワイドショーの再現ドラマやポルノビデオの男優で食いつないでいるなどという運命よりは、当然、テレビの力で売れたほうがいいに決まっている。

だから、僕はテレビの力をすべて否定してはいない。力の性格や方向性に問題があると言いたいのだ。

問題は主に3つある。
ひとつは、テレビ番組製作者が、テレビとは低俗なものであると開き直っていること。恥を感じながら開き直っているのではなく、低俗にすることを正当化し、果ては、一種の権力を行使する快感に溺れている気がする。
地上波テレビは、「よろこび組」を所有する独裁者であってはならない。
低俗なものが数の上で売れることは当たり前のことなのだ。それを正義だと言うのは恥ずかしいことだと自覚することから、質の高い文化は生まれる。

ふたつ目は、テレビに限ったことではないが、嗜好や芸のレベルを子供に合わせすぎていることだ。
子供の頃に共有したアニメや漫画のネタをちょっといじり、それで笑いを引き出す手法などは、大人には当然通じない。しかし、子供だけを相手にしても十分に商売になってしまう。いや、相手を子供にしぼったほうが商売として計算しやすい。
このレベルのものをテレビが許してしまう、あるいは積極的に進めてしまうと、仲間内でちょっと話の面白いやつ、という程度の芸人が、数の正義を簡単に勝ち取ってしまう。
これは笑っている若者にとっても不幸なことではないのか。「もっと面白いもの」への入り口を見つけられないまま、どんどん歳を取るのだから。

三つ目は、「子供向け」とほぼ同意になってしまうが、アメリカ文化を真似しすぎることの弊害である。
ハリウッド映画の底の浅さと若者たちが求めている表層的な笑いは、どこか通じるところがあるように思う。シニカルな笑い、知的な笑いを楽しめない世界はつまらない。
アメリカに向きっぱなしになっている顔を、ときどきヨーロッパに振ってみるだけでも、今の日本のテレビはだいぶまともになるのではないか。

地上波テレビ、特に民放にはもうほとんど期待はしていない。だから、CSの弱小局などに提案したいのだ。数の論理ではなく質の論理で編成したお笑い専門局を立ち上げよ、と。
演出は一切いらない。必要なのは、出演者を選ぶ目だけ。舞台を定点カメラがとらえ続けているだけの低予算番組でもいい。絶対に成功する。
実際に我が家では、1年に1回あるかどうかというラーメンズやバナナマンのステージ映像を見るため、あるいはまだ知らない「面白い芸人」を発見するために、WOWOWやスカパーに高額な視聴料を支払っている。
歳を取ってから突然売れた綾小路きみまろや、昭和のいる・こいるを最初に見たのは、NHKのBSでやっている寄席中継番組だったと思う。

あるいは、インターネットで販売できないものか。1ネタ100円くらいで、数分のビデオファイルにしてオンライン販売するのだ。
高橋尚子や弘山晴美が毎週マラソンレースを走るのを見るのは無理だが、ラーメンズやバナナマンを毎週見るのは無理ではない。毎週が贅沢なら、月一でもいい。そのペースで彼らの新作が見られるとしたら、毎日の生活がどれだけ豊かに感じられることだろうか。
この不況の時代、それくらいのベンチャービジネスをやるやつがいなくてどうする。

八幡神社・台座から落ちそうな子獅子
■台座から落ちそうな子獅子
 福島県東白川郡塙町西河内・八幡神社
 石工:後藤豊春 昭和9年8月15日建立



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