たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2003年11月21日執筆  2003年11月25日掲載

パスポートは、ない

50年近く生きてきて、未だに日本国外に出たことが一度しかないという話は、以前ここでもちょこっと書いたように記憶している。
そもそも飛行機に乗ったことが数えるほどしかない。国内線は、関空1往復半、大分空港1往復、三沢空港片道1回。これで全部。本当に「数えるほど」でしょ。

唯一の出国経験は、1988年2月のこと。そのとき取ったパスポートは、5年後の1993年に失効しているから、今年はパスポート失効10周年?にあたる。

88年2月に、ディズニー・ワールドオンアイスを取材するという名目でアメリカ西海岸に行った。1週間ほどの「国外初体験」だった。
到着初日の夜、サンフランシスコでアイスショーの会場に行き、開演前の小一時間、出演者たちとの交歓パーティに出た。取材らしきものはそれだけで、後は全部オマケの観光。
メディアを「取材」旅行に招待して、紹介記事を書いてもらうという一種のタイアップパブリシティだ。広告を打つよりも、記者をひとり招待して記事を書いてもらったほうが安いという計算。
僕は某雑誌の記者として参加したが、参加した記者たちの中で、フリーランスは僕だけだったと思う。

時差でほとんど寝てない、ぼーっとした状態のまま、地下の職員食堂に案内された。そこに、昼の部を終えたばかりの出演者たちがどっと入ってきたが、日本人の記者たちは小さく固まって料理をつつくだけで、全然交流にならない。
案内役が、若い男女二人を連れて僕がいたテーブルにやってきた。
「この二人がみなさんとお話ししたいそうです」
……と言われても、記者たちはみんな困ったような顔をして、何も言わない。
僕はたまりかねてひとり椅子から離れ、その二人の前に進み出た。
「Hi! たくきだよ。よろしく」
「僕たちは○○と××(名前は忘れた)。やあやあやあ。えーと、ごめん。名前をもう一度……」
「鐸木。日本では、漢字という、1文字1文字が意味を持っている文字を使うんだけど、僕の名前の『鐸』はbig bellかな。『木』はtreeね。Takukiって言いにくいだろうから、タックとでも呼んでくれ」
「Why? So we'll call you 'Big Bell Tree'!」

そんなやりとりから始まって、すぐにうち解けた。
「川崎から来たんだ」
「Kawasakiって、町の名前なの? オートバイなら知っているけど」
「あ、オートバイか。それもあるな。本田もスズキも社長の名前なんだよ。川崎はどうかなあ。人の名前でもあるけどね」
なんて、他愛のない話が続いて、
「ところで、君たちはショーの中では何の役?」
と訊いた。
二人が答えるのに、一瞬の間が空いた。
「いろいろだけど、ショーの最初のほうでは、僕は木の役。他にも花とか、いろいろ。これから見るんだろ? しっかり見ていてくれよな」
というような答えが返ってきた。
木の役というのがよく分からなくて、聞き間違いかと思ったのだが、その後、ショーが始まって分かった。本当に「木」の役だったのだ。
確か演目は『白雪姫と7人のこびと』だったが、若い二人はメインのキャラクターはもらえず、立木とか、森の動物たちの何か(ウサギとか)という、端役だった。

ショーでは、もちろん白雪姫役の女性スケーターと王子様役の男性スケーターが最上位スターで、見せ場もたくさんある。役によって、厳然と序列が決まっている。
僕と話していた二人は、出てきてもすぐに消えてしまう役ばかり。木だのウサギだの、かぶり物のせいで顔も見えない。結局、どれが二人だったのか、よく分からないままショーは終わった。
短い時間だったが、アメリカのショービジネスの華やかさ、厳しさ、そして夢を追う若者の明るい姿、などなど、アメリカの優れたところをたくさん見た気がした。

正直なところ、僕はディズニーのキャラクターはあまり好きじゃない。初期のアニメーション映画などはすごいと思うが、ディズニーの死後は、企業としての権利ビジネスがうまくなっていくばかりで、芸術性や、本当の夢が薄れているように感じていた。
でも、端役の二人と話し、彼らの積極性や明るさに触れたことで、すごく幸せな気分になれた。これがアメリカのよさなのだな、と。

帰ってきて、そのことを交えながら「アメリカのショービジネスの深さ、大きさ」について書いた。ヨイショ記事だが、無理してヨイショする必要もなく、自然に書けた。

あれから15年。
僕の海外経験はこれだけで止まっている。AICの読者は海外在住者が多いので、信じられないかもしれない。
考えてみれば、英語を10分以上話したのも、後にも先にもあのときだけだ。10年勉強して、実際に話したのはたかだか数十分間。なんだかなあ。

切れたままのパスポートが、今、目の前にある。もしかしたら、パスポートを取り直すことは、もうないかもしれない。
最近はすっかり出不精になり、東京に行くことさえ、月に1度あるかないかだ。
毎日コンピュータに向かい、中国人、インド人、イギリス人、アメリカ人、スウェーデン人と英語のメールをやりとりするが、DNSのTTL(Time To Live)がどうのこうのとか、そんな話ばかり。クレーム、技術的問い合わせ、金の出し入れのこと……。
コンピュータの向こう側で僕にメールを送ってくる人物の顔も見えなければ、歳も分からない。
俺、本当はダンサーなんだ、とか、昨日、すごくでかいウナギを釣ってさ、とか、そういう話ができるかもしれないのに。

インターネットで世界中が結ばれているというけれど、人と人が結ばれているとは言えないような気がする。お互いのことは全然知らない。
自爆テロを決意するアラブの若者と、ディズニーのアイスショーでスターになることを夢見るアメリカの若者が、インターネット上で匿名で知り合えば、共通の興味を見いだし、話が盛り上がるかもしれないのに……。

……ああ、もう師走ですねえ……。

全然まとまらないまま、今回は逃げちゃおう。

期限切れのパスポート
■これ以外、余白だけのパスポート。




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