『裸のフクシマ』(たくき よしみつ・著) 立ち読み版

裸のフクシマ ◆ 書 名:『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(講談社)

   種 別:単行本 352ページ
   著 者:たくき よしみつ
   版 元:講談社、2011.10
   価 格:1600円+税
   ISBN :978-4-06-217319-3
   


メディアが語ろうとしない驚愕の事実が満載
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内容紹介

■目次
まえがき

第1章 「いちエフ」では実際に何が起きていたのか?

揺れる我が家を外から見ていた
通信不能になることの恐怖
2時間も隠されていた最初の爆発
ツイッターとグーグルに真実を教えられた
全電源喪失に至る「想定外」のバカさ加減
前年6月にも2号機は電源喪失で自動停止していた
11日のうちに炉心溶融していた!
4号機のミステリー
東京にとっては3月21日が問題だった
そのとき川内村の住民たちは
避難を決断できた村とできなかった村

第2章 国も住民も認めたくない放射能汚染の現実

3月15日、文科省がまっ先に線量調査した場所
福島県はSPEEDIのデータを13日に入手していた
イギリスから線量計が届いた
まだ線量の高い川内村に「一時帰宅」
「調査をするな」と命じた気象学会
突然有名になった飯舘村
20km圏内の放射線量を出さなかった理由
0.1マイクロシーベルト/時 は高いのか低いのか
「年間20ミリシーベルト」論争の虚しさ
恐ろしくて調査もできない内部被曝
日本中を震撼させた児玉証言
チェルノブイリ事故のときのヨーロッパは
福島の人たちでも感じ方・判断は様々
核実験時代は今より放射線レベルが高かったという勘違い
「チェルノブイリの○倍/○分の1」というトリック
低線量被曝の「権利」
わざわざ線量の高い避難先の学校に通わされている子供たち
「低線量長期被曝」の影響は誰にも分からない

第3章 「フクシマ丸裸作戦」が始まった

安全な家を突然出ろと言われた南相馬市の人たち
20km境界線を巡る攻防
30km圏内に入れてくれと言った田村市、外してくれと言ったいわき市
仮払金・義援金をめぐる悲喜劇
避難所から出て行こうとしない人たち
無駄だらけの仮設住宅
汚染のひどい都市部の補償はどうするのか
事故後、「原発ぶら下がり体質」はさらに強まった
原発を率先して誘致したのは県だった
プルサーマルを巡って葬り去られた知事、暗躍した経産副大臣
福島を愛する者同士の間で起きている根深い憎悪劇

第4章 「奇跡の村」川内村の人間模様

川内村にとって脅威は線量ではない
農家の意地をかけた孤独な闘い
獏原人村と「大塚愛伝説」
「一時帰宅ショー」の裏側で
目と鼻の先の自家用車を取り戻すのに丸一日
一時帰宅──富岡町の場合
「ペット泥棒騒動」に巻き込まれたジョン
全村避難が決まった飯舘村へ

第5章 裸のフクシマ

「地下原発議連」という笑えないジョーク
放射能で死んだ人、これから死ぬかもしれない人
日当10万円、手取り6500円
浜岡は止める前から壊れていた
「エコタウン」という名の陰謀
「除染」という名の説教強盗
下手な除染は被害を拡大させる
3・11以降まったく動かなかった風力発電
「正直になる」ことから始める
素人である我々が発電方法を考える必要はない
1日5500万円かけて危険を作り続ける「もんじゅ」
裸のフクシマ 

かなり長いあとがき  『マリアの父親』と鐸木三郎兵衛

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●まえがき

 フクシマは、ヒロシマ・ナガサキ以上に有名になってしまった。
 日本には現在18か所55基(もんじゅを含む)の原子力発電所があるが、発電所名に県名をそのまま使っているのは福島と島根しかない。この名称の付け方が、すでに福島県の「セキュリティの甘さ」を物語っている。
 浜岡原発が静岡県に、玄海原発が佐賀県にあることを知らない日本人は結構いる。チェルノブイリがウクライナにあることを知らない日本人も多い。もしも、福島第一原子力発電所が、他の原発同様に「大熊双葉原発」という名前だったら、今、福島県の人たちが抱えている苦痛は、ほんの少しだが軽減されていたかもしれない。

 今、僕は、この文章を川内村の自宅で書いている。
 この家と土地は、2004年年末に手に入れ、引っ越してきた。きっかけはその年の10月23日に発生した中越地震だった。
 終の棲家とするつもりで越後の豪雪地帯に買った古い家を十数年かけて手を入れ、ようやく本格的な引っ越しもできると思っていた矢先の被災だった。十数年かけてこつこつと直してきた家は完全につぶれた。集落は「この土地には二度と家を建ててはいけない、住んではいけない」という条件を呑んで集団移転を決めてしまい、消滅した。
 すべてを失ったまま新年を迎えるのは嫌だと、あちこち引っ越し先を探し、この阿武隈の山奥に小さな売り家を見つけて移り住んできた。
 仕事は物書きや作曲などの創作活動がメインで、勤め人ではないから、山奥で暮らすことそのものの不便はほとんどない。しかし、高速通信環境は必須なので、村にBフレッツが開通する2008年2月までの4年間は、川崎市の仕事場と行ったり来たりの二地域居住だった。光が開通してからは仕事上の不便もなくなったので、完全に川内村の家に引きこもっていて、首都圏に出て行くのは年間数週間しかない。
 この我が家は福島第一原発からは約25kmの場所にあり、現在お上から「緊急時避難準備区域」というありがたい名前をつけていただき、区分けされている。
 何か起きたらすぐに逃げられるようにしておいてね。すぐに逃げられるようにするために、子供や病気の人、障碍者はこの区域にはいちゃだめだよ。だから、学校や病院は再開させないよ。健康な大人は、どうしてもいたいというならいてもいいけれど、何かあっても知らないからね。自己責任でそこに居残ることを決断したということを忘れないでね。
 ……とまあ、こんなふうに決められた区域なのである。
 食卓の上に置きっぱなしになっている放射線量計は、今見たら、0.38マイクロシーベルト/時を示している。家の中は大体こんなもので、低いときで0.28μSv/h、高いときで0.48μSv/hくらいを指す。
 外はもう少し高い。セシウムがたっぷり染みこんでいるらしいウッドデッキの上は1μSv/h以上ある。
 3月下旬に「一時帰宅」したときは、外は2μSv/hを超える場所がたくさんあり、家の中でも1μSv/hを超えることがあったから、あの頃に比べるとずいぶん下がった。しかし、ここひと月は下がらないどころか、天候によっては高くなるときもある。
 ざっくりと、家の中、外、そして内部被曝など全部合わせて0.5μSv/h平均被曝しているとすると、年間被曝量が4ミリシーベルトを超える程度の環境に住んでいるわけだ。
 せっかく人類史上初めてとも言えそうな貴重な経験をさせてもらっているのだから、2011年の「フクシマ」を、原発30km圏内の川内村という「現場」からの目でしっかり記録しておきたい。
 そう思って本書を書き始めたところだ。

 本書を手にしてくださったみなさんの多くは福島以外の場所で暮らしていらっしゃると思う。福島原発震災についてのリポートはすでにたくさん出ているし、今後も出てくるだろうが、そうしたものとはかなり違う内容に驚かれるかもしれない。
 福島の中からしか見えない事実、報道されない現実を、幸か不幸か、僕は直接体験して知っている。テレビではあんな風に伝えていたけれど、実際にはこうだったんだよ、という事実もご紹介できる。
「現場」に暮らしていて、日常が非日常に変わっていった様子を見ているわけだから、外から取材に入って、いきなり「非日常」部分だけを見た人たちとは違う視点でお伝えできるはずだと思う。

 事実を知れば知るほどやりきれなくなるけれど、かといって、騙されっぱなし、隠されっぱなしでいるのは悔しい。
 ……そういう姿勢で書いていきたい。

裸のフクシマ
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