タヌパック短信 41

■取次という名の怪物




 不況になり、僕の小説はまったく出なくなりました。特にこのところ、出版物の大手取次会社(日販や東販など)が、「過去の売り上げ実績以上の部数は引き受けない」という姿勢を打ち出しているので、一度売れない本を出してしまった作家は、永遠に本が出せないような仕組みになってしまいました。
 それも、ノンフィクションの本を出そうとしているときに、過去に出した文芸本の部数を云々されるという不条理がまかり通るのです。
 たとえ、勇気のある出版社が「いい本だから」と出版を強行しても、取次はその著者の過去データを見て、それ以上は引き受けませんから、店頭に流れるのはほんのわずかで、残りは出版社の倉庫に置かれたままになります。
 少部数しか流れない場合、大手書店などは、箱から出すこともなく返本してしまいます。店頭に並ばない本は売れません。売れないという数字だけが厳然と取次会社のコンピューターに残ります。そうなると、次の本はますます出せなくなります。
 僕の場合、もはや「名前を消す」「他人になりすます」しか本を出す道はないと宣告されました。
 そういう中でどう生き抜くか、厳窟王のような心境で、策を練っています。


☆デジタル版追記


 例えば、書店である本を注文したとします。その書店は、東販や日販といった大手取次店にその本を発注します。例えばそれが300円の文庫本だった場合、取次は自社内に在庫がない場合、「在庫なし」としてそれ以上取り合わないことがあります。儲からないからですね。
 しかし、出版社へ直接注文すれば、出版社の倉庫に残っているものは出してくれる場合があります。クロネコのブックサービスなどは、取次を通さずに直接出版社に発注していますので、書店で注文しても入手できなかったのに、クロネコに注文したら2日後には届いたなどということがあります。
 取次店を通すと、通常は本が入荷するまでに2週間くらい待たされます。こんなひどい流通システムが現代の日本で残されていること自体、非常に疑問を感じます。
 僕の『マリアの父親』(「小説すばる新人賞」受賞作)を、千葉の読者が、発売の2週間前から近所の書店を通して予約していました。結局その人の手元には、2か月経っても届きませんでした。
 横浜の小さな書店では、世間の流行には関係なく、店主がよいと思った本だけを並べてお馴染みの客に自信を持って売るという方針を貫いています。この店で『マリアの父親』もぜひ多くの人に読んでもらいたいからと、店としては破格の10冊を取次に発注しました。2か月経っても本は届かず、ようやく届いたとき、発注書の「10」という数字は勝手に横棒で消されて、「1」に書き直され、1冊だけが他の本と一緒に届いたそうです。
 出たばかりのときにこういう有様なのですから、ましてや発売後数か月、数年経てば、推して知るべしです。読者や書店、あるいは出版社の意向を無視して暴走する大手取次とはなんなのでしょうか?
 本というものは、元来、「少部数多品種」の文化でした。マスメディアではなかなか見つけられない情報を、本ならば届けてくれるという使命があったはずです。
 しかし、大手取次は今、「大部数少品種」への道を築こうとしています。そのほうが効率よく儲かるからです。これは、日本の音楽ビジネスがたどった道とまったく同じです。
 数百万枚売れるCDだけをどかどか売りまくり、数千枚単位のCDは、たとえどんなに内容が素晴らしくても切り捨てていくという方向です。「質より量」というのは、バブル期に日本人がおかした失敗です。
 
「今、どんな本(音楽)が売れているの?」という質問は、恥ずかしい質問です。どんな本が面白い本なのか、どんな音楽がよい音楽なのか、それは自分で見つけるべきです。マスメディアの情報に頼っているばかりでは、本物の文化・芸術はどんどん消えていくのだということを自覚するべきです。 


■売れなかった歌手と売れなかった作家の出逢い


 泉ゆう子……といっても、「ああ、あの……」と思い当たる人は、恐らく草の根通信の読者には一人もいないでしょう。元演歌歌手。キングレコードからレコードも出したことがあるそうですが、僕は全然知りません。
 彼女から初めて手紙をもらったのは、多分94年のことだったと思います。
 その前の年、僕がタヌパックレーベルで初めて作ったCD『狸と五線譜』を五木寛之さんがラジオの番組で紹介してくださり、そこで「聴取者10人にプレゼント」というのをやったところ、数百枚の葉書が来ました。
 中には「外れてもどうしてもほしいので、購入方法を教えてください」などと書き込みされた葉書もたくさんあり、「外れ」の葉書の山から、そうした気になる葉書をさらに10枚選び、追加でプレゼントしました。
 その中に、後にこのCDを広島の栗栖晶くんにプレゼントしてくれることになる穐村さんなどもいたわけですが、もう一人、長いおつきあいに発展することになる女性がいました。
 吉本裕子さんといいます。
 応募葉書には「42歳・飲食店経営」とあり、住所は大阪でした。追加プレゼントをしたところ、ていねいなお礼状が来ました。
 そのまま忘れていたのですが、暫くして、今度は突然電子メールが届きました。使っているワープロで通信ができることを知り、ニフティに入ったとのこと。
 電子メールだと返事を書くのも楽なので、なんとなくメールのやりとりが始まりました。
 翌年、大阪で月一回のペースで小説教室の講師をやる仕事が入り、彼女がママさんをやっている飲み屋を訪ねました。バーというよりはクラブに近いような、思ったより高級な店でしたが、僕はカラオケが入っている店は大の苦手で、客が混んできてからは早々に退散しました。ただ、店を出る直前、客から請われて演歌を歌ったママさんの歌のうまさには感心しました。
 彼女が元プロの演歌歌手だと知ったのは、さらに後になってからです。
 大阪での仕事の最後の日、もう一度立ち寄ったときに、「今度、タヌパックで演歌CDでも作らない?」などと軽口を叩いたのが、二年後に現実になりました。
 店の20周年記念にかこつけて、書き下ろしの曲をCDにするという話に発展したのです。
 計画が持ち上がったときは、大阪での仕事は終わっていましたから、打ち合わせはもっぱら通信です。
 曲のデモテープは郵送。彼女の歌もテープで郵送。気軽に始めた計画でしたが、実際にはとてつもなく大変な作業になりました。
 送られてくる歌のデモテープが全然イメージと違うので、かなり厳しいことも言いました。文字だけのやりとりですから、口で言うよりもずっときつい調子になります。そのうち、彼女のほうも遠慮なしにぶつかってくるようになり、血みどろの戦いに。
 結果は、それなりに魅力的なCDになったと思っています。
 一度は歌を諦めた元演歌歌手と、芸能界になじめなかった作曲家。はみ出し者コンビが、子供のロック全盛の現代に投じる一石。興味のあるかたは、聴いてみてください。
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☆タヌパック短信・草の根通信版はこれが最終号になりました。
 おつきあいくださって、ありがとうございました。

☆WEB版だけの「本当の最終回」はこちら。