◆日記 99/10/10



 永井明さん(作家・医師)に誘われて、大野雄二トリオの演奏を生で聴いてきました。

 大野雄二トリオ
↑普通の飲み屋さんで、PAも何もない、ほんとの「生」演奏。
 

 メールで「ジャズを聴きながら飲む会を企画しているんですが、興味ありますか?」と訊かれたので、「興味は大ありです」と答えておいたんですが、後日送られてきたFAXを見てびっくり。大野雄二(pf)、鈴木良雄(b)、村田憲一郎(ds)というビッグネームが並んでいるではないですか!
 特に大野さん、鈴木「CHIN」良雄さんは、僕にとって特別な思い入れのあるミュージシャンです。

 どのような思い入れがあるのか──先ほど、CHINさんに手紙を書きましたので、内容をそのまま紹介しましょう。
 こんにちは。昨夜、ヒーローズ・クラブでお目にかかった たくき よしみつ です。
 僕にジャズのかっこよさを教えてくれた名曲「Sleep My Love」をさっそくコピーしましたので送ります。何しろ30年近く前のものですし、元のテープがひどいし、コピーしたカセットも昔の安物なので(最近、カセットテープって使わなくなってしまい、手元に適当なのがなかったんです。すみません)ひどい音ですが、感じだけは伝わると思います。
 ソプラノはもちろんナベサダさんです。他のメンバーは忘れてしまいました。この日は「鈴木良雄を迎えて」という特集だったのです。このテープには曲の部分しか入っていませんが、元のテープ(紛失)にはしっかり「ではお聴きください。スリープ・マイ・ラブ。鈴木良雄のオリジナルです」というナレーションが入っていましたから、間違いなくチンさんのオリジナルです。
 イントロのベースの入り方からして「おっ」と思い、以後「My Favorite Melodies」という特選テープに編集して車の中などでもよく聴いていました。DATにもコピーして保存してあります。

 思えばこの頃、日本にはすばらしいメロディーがたくさんありました。
 テープの空き部分に、この時代、僕がテレビやラジオからコピーした曲をいくつか入れてみました。ひどい音ですが、僕にとっては懐かしい宝物です。
 大野雄二さんのAKAIのCMはとても好きでした。B面の頭に入っています。
 樋口康雄(PICO)さんには特に傾倒し、事務所に押しかけていき、一時は一緒にデモテープを録ったりしていました。雪が谷の樋口家にお邪魔し、大邸宅の広いリビングに置かれたスタインウェイのグランドピアノ(象牙の鍵盤!)を前に、歌の練習をした日が懐かしいです。僕はピアニストとしても樋口さんのタッチは大好きでした。
 最近ではオリジナルのCMソングというのもなくなってしまいましたね。マンハッタン・トランスファーやフィフス・ディメンションを呼んでCMソングを作っていたあの時代が嘘のようです。世の中、ハードは進歩したかもしれないけれど、ソフトは確実に退化しています。

 あの頃、バカラックやビートルズのメロディーが好きだった僕は、それでもジャズというジャンルは自分とは無縁の世界と思っていました。そもそも、自分は作曲家を目指しているのだから、楽器は人に弾かせればいいと考えていて、演奏にはコミットしませんでした。
 でも、自分で弾かない限り、誰も弾いてくれないことが確実になった(つまり音楽業界にデビューするのに失敗した)後は、このまま死んでしまうのは悔しいと思い、37のとき、思いきって近所のジャズスクールの門を叩き、ギターをドレミファから弾き始めました。それまではフォーク小僧だったので、簡単なローコードは弾けても、単音弾きさえできなかったんです。
 37にして初めて訪れたジャズスクール(校長は菅野正洋さんというバイブラフォン奏者)では、塚田信市さんというベーシストがギターを教えていたんですが、同じ年代のおっさんが生徒としてやってきたのでやりにくそうでした。初日に僕を見るなり、「あなたはやはりちゃんとしたギタリストに教わったほうがいいと思うから」と、僕だけのためにわざわざ吉原さんをその教室に講師として呼んでくれたのです。
 その後1年半はギター科の生徒は僕一人だけで、月2回のOne to oneレッスンが続きました。
 KAMUNAの結成はその2年後です。吉原さんを口説いてギターデュオのCDを作り、アーティスト名を勝手にKAMUNAと命名して半ば事後承諾させてしまいました。
 それがKAMUNAの1stアルバム『グレイの鍵盤』で、昨夜お渡しした『アンガジェ』は、2枚目になりますす。(中略)
 今は、アメリカのジャズ専門ケーブルテレビ「Bet On Jazz」の「Jazz Discovery Showcase」という番組にデモビデオを送ったりし始めています。日本ではどうにもならないものですから。(中略)

 このテープをコピーするために、カセットの棚を見ていたら「MATSURI」というのがありました。これから聴いてみます。

 ではでは。

 たくき よしみつ

 
 というわけで、CHINさんは僕をジャズに導いてくれたアーティストなんですね。ところが、そのきっかけとなった「Sleep My Love」という曲を、当人は覚えていないというんですね。「それ、ほんとに僕の曲ですか?」なんて言っている。忘れているのね(;_;)
 メロディーを歌ったところ「ああ、そのジャージャッジャジャー」のところだけなんとなく覚えているなあ」とか言っていて、まだ思い出せないでいる。しょうがないから、証拠のテープをコピーして送ることにしたわけです。

 作曲家・大野雄二さんも特別な思い入れがあります。
 高校生から大学生にかけて、僕は樋口康雄さんに傾倒していたんですが、その頃、テレビのCM音楽や劇伴(ドラマのBGMやテーマ音楽など)で大野さんも活躍していて、特にAKAIのCMなどは大好きでした。
 大学卒業後、「アンサー」というオフコースもどきのデュオグループでビクターからデビューする直前、最初にもらった仕事が丸井の15周年だか20周年だかの記念曲「丸井からありがとう」というのを歌う仕事でした。で、これが大野さんの作曲で、譜面を渡されてはしゃいだのを覚えています。確かTBSのスタジオかなんかでレコーディングしました。アンサーはオフコース並みにキーが高いので、大野さんが書いた譜面では低すぎてうまく歌えず、苦労したのを覚えています。
 でも、大野さんにしても、僕が歌った丸井のCMのことははっきり覚えていなくて「ああ、あの頃は丸井の仕事を結構やらせてもらっていたから」という程度の記憶。
 ……ああ、それくらいどっぷりと音楽に浸れる人生を送れたらいいなあ。

 昨夜のステージはなかなかよかったです。
 余裕でやっているプレイというのは聴いていてとても気持ちがいい。特にCHINさんのベースは素晴らしかった。
 日本では安心して聴けるベーシストってそんなにいません。最近では納浩一がうまいなあと思っていますが、CHINさんのベースは安定している上で楽々と歌っているところが素晴らしい。よく言われているように人柄も本当に魅力にあふれていて、人気の秘密を見た気がしました。
 CHINさんと
↑鈴木良雄さんと一緒に。(写真提供:福山ヨジラ庸治さん。最初の写真も。Thanks!)

 ステージが終わった後、CHINさんがピアノの遊び弾きしているとき(彼はピアニストとしても有名)、店に転がっていたクラシックギターを持って参加してしまった。ちゃんと合わせてくれたので嬉しかったぁ〜(完全にミーハーモード)。
 話もして、彼も「移動ド」の人だということが分かりました。それで通じるところがあったのかなあ。
 
 ドラマーの村上憲一郎さんは歯医者さん。夜になるとトップミュージシャンとセッションを繰り広げるという日々。嫌味のないドラミングは好感が持てました。
 
 生のステージを見ていて、芸人になれない自分がすごく惨めに感じられました。
 やっていることを整理したい。やりたいことがお金にならず、お金を得るために中途半端な器用さを駆使してしまう。
 
 久しぶりに会ったヨジラさん(http://yojira.com)がポロッと口にした言葉。「こういう(演奏という)芸があれば、世界中どこに行っても食っていける」
 その通り。言葉さえいらない。道ばたで演奏を始めてご祝儀をもらえるくらいの腕と体力・気力が欲しい。今から頑張れるかなあ。 

前へ      次へ次へ
出口(back to index)