「Qの悲劇」などと名づけた記事もあった。
正直に言うと、発表があるまで、陸連はなりふり構わずQちゃんを選ぶのだろうと思っていた。今回の悲劇のヒロインは土佐礼子(トサレイ)。松野明美、鈴木博美、弘山晴美と続いた悲劇の名ランナーの系譜は、トサレイが引き継ぐ……間違いないと思っていた。
虚しいけれど、それがいかにおかしいことであるかを書くための準備も始めていた。
ところが、陸連(小出監督の言う「専門家たち」)が下した結論は違っていた。
神はQちゃんに再び微笑んだ。あのまま選ばれていたら、Qちゃんの輝かしいマラソン人生に汚点が残っていた。世界の頂点を極めた偉大なるランナー高橋尚子には、できるなら永遠に美しくいてほしかった。
神様はQちゃんを見捨てなかった。土壇場でQちゃんを「スポーツ政治」の泥沼から引き上げ、再び孤高の存在としての輝きを与えたのだ……と思う。
記者会見でのQちゃんの姿も立派だった。さすがに世界一を極めた人間は違うと感動させられた。
前日のトサレイの根性にも感動したが、Qちゃんの記者会見での姿にはもっと感動した。
これ以上は、来週の
AICに書くつもり。
ムキになって論陣を張る必要がなくなってしまったので、ややしらけるかもしれないが、まずは以下のデータを(せっかくまとめたので)ここに掲載しておこう。
陸連が「選考レース」と指定した4つのレースにおいて、勝者が、どんな気象条件の下、どんな相手(大まかに見て世界ランキングのどのくらいの選手)に、どれだけの差をつけて勝ったのか、あるいは負けたのかという視点で見てみよう、という意図で作成した。
ベストタイムの世界歴代順位は、
こちらのサイトを参考にさせていただいた。今年に入ってからベストタイムを記録した選手に関しては(歴代○位)の横に
★印をつけてある。この順位は昨年のランキングに割り込ませた暫定順位なので、正確さについては自信がないが、大体の目安にはなるだろう。
例えば、
野口みずきは世界歴代2位のヌデレバに対して19秒差で負けた
高橋尚子は歴代48位のアレムに対して154秒差で負けた
坂本直子は歴代14位の千葉真子を111秒ぶっちぎって勝った
……というような見方ができると思う。
高橋尚子の東京は、気象条件がどうのこうのということが言われているが、有力選手がまったく出ないという異常なレースだった。
高橋以外の国内招待選手は、
小崎まり(歴代32位)
嶋原清子(ランク外)
吉松久恵(ランク外)
橋本有香(ランク外)
田上麻衣(ランク外)
高仲未来恵(ランク外)
……という面々で、小崎がかろうじてマラソンファンには名を知られている程度だったが、直前に欠場を表明。
外国選手ではアレムとロバには実績があるが、その他は無名選手。ロバはここ数年は好成績が残せておらずすでに過去の選手と見られていたので、唯一、相手になりそうな選手はアレムしかいなかった。
こうした異例とも言えるほどの低レベルな大会で、その唯一相手になれる可能性のあったアレムに154秒(2分半以上)の大差をつけられて惨敗したのだから、これを「日本人1位」とか「気象条件が厳しかった」などとは言えない。ほとんど途中棄権したに近かった。
マイナス材料にしかならない東京国際しか結果が残らなかったのだから、あとは「選考レースには無関係に過去の実績で選ぶ」ということになってしまう。もし高橋が選ばれていたら、事実上「高橋は最初から別枠」と決めていたことになる。
そこまで陸連は狂ってはいなかったということで、今回の結果には少しだけ安堵した。
しかし、陸連が犯した罪は依然として大きい。
まず、今回は
選考基準を事前に明示したというが、その基準の内容がおかしい。
男女マラソンの選手選考基準は、
1.第9回世界陸上選手権大会でメダルを獲得した男女マラソンの競技者の中で、男女マラソン最上位1名の選手をそれぞれ代表とする。
2.上記以外の男女マラソン代表選手は、各選考競技会の日本人上位の競技者の中から本大会(註・アテネオリンピック)でメダル獲得または入賞が期待される競技者を選考する。
とある。
この2項目のどちらもおかしい。
まず、なぜ世界陸上だけが優遇されるのか。
夏のマラソンは一流選手が避ける傾向がある。スタミナを消費してしまい、大きな賞金レース(春や冬に集中)への出場に影響するからだ。極端な話、世界陸上に一流選手がほとんど参加せず、そこで3位になっても、その時点で早々と確定なのだ。その後の3レースでどんなにすばらしい結果を残しても、この「平凡な3位」を打ち破ることはできない。
また、世界陸上はオープン大会ではなく、陸連が出場選手を指名する大会である。実績のない無名選手が急成長していても、出場し、自分の力を証明することができない。
次に、2番目の項目の「メダル獲得または入賞が期待できる」というのはまったく「基準」になっていない。上位とは何位までなのか、「期待できる」というのはどういうことを根拠に判断するのかが分からない。
アテネ五輪のマラソンは特異なレースになると言われている。恐らく30度前後の高温。コースはアップダウンが続き、最後はずっと下り坂。この特異な条件のことも合わせて「期待できる」と判断するのか?
例えば、野口みずき選手は極端なストライド走法であり、アップダウンの連続や下り坂には不利と言われている。現在の彼女の実力は文句なしだと誰もが認めるが、アテネに限って言えば彼女のランニングスタイル自体が不利な条件になる。
スポーツというのは勝負の世界である。競技への出場資格を決めるのも勝負でしかない。そこに「期待できる」というような主観的表現を使ってはいけないのだ。
その意味では、小出監督の「専門家の判断」云々という言葉や、瀬古監督の「専門家なら高橋を本番前に二度も走らせるようなことをさせてはいけない」という発言も、根本的に間違っている。勝てる可能性という意味で言えば、高橋尚子は恐らく今でも最上位にいると信じたい。しかし、「期待できる」から選ぶ、は間違っているのだ。それを始めたら、もはやスポーツではなくなってしまう。選ばれる選手は、選ばれる権利を勝ち取った選手であるべきで、それは専門家云々とか国民的人気とは別の次元の問題だ。
今回、高橋尚子選手を選ばなかった一方で、油谷選手は「実績」あるいは「夏のマラソンに強い」……つまり「期待できる」という理由で選ばれている。Qちゃんショックのかげでかすんでいるが、これはおかしい。
確かに油谷は上位入賞が「期待できる」だろう(ストライド走法の彼が「アテネ向き」であるかどうかは分からないが)。しかし、スポーツマンとして、「日本記録保持者の高岡に勝てば文句なく選ばれるはずだ」と、果敢に福岡国際に挑んでいった選手たちに対して、胸を張れるのだろうか。
出ないことも戦術、かもしれない。しかし、それでは人の心は揺さぶれない。
高橋との直接対決を避けた女子(そして監督たち!)に比べ、本命・高岡に挑んでいった尾形や藤田、小島らは立派だった。高岡を倒して切符を取ると言って、実際に実行した国近と諏訪は、文句なく切符を手にする権利がある。
ともかく、陸連には、これ以上馬鹿な選考基準で選手たちを愚弄し続けることだけはやめてほしいと言いたい。いくつかの改革案を俎上に上げ、広く論議を求めるべきだろう。
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