日記 2005/09/20

そして何もなくなった


越後に残った最後のゴミを処分するため、磐越道を乗り継いで小高に向かった。
これは磐越道のあぶくま高原SAで朝飯代わりに食べた三春そうめん。なかなか美味。

つぶれた家の瓦礫は処分してもらったが、家電ゴミだけは残していってしまったため、町の集積場に軽トラックで運ぶのだ。これが最後に残ったゴミ。


寅さんに手伝ってもらい、借りた軽トラックの荷台に積む。柏崎から畑仕事のためにはるばる通っている元住民が見に来た。
最後のゴミを積むと、生き残った車庫以外は何もなくなった。この車庫も、すでに向かいの人に貸してある状態。
向かいの家から見たところ。お向かいの源治さん宅もすっかり跡形もなくなり、更地になっている。

ところが、町の集積場では、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、エアコン以外は一切引き取らないとのことで、パソコンやプリンターの残骸やCDプレイヤー、給湯器などは引き取りを拒否されてしまった。その後、町の粗大ゴミ集積センターにも行ったが、そこではCDプレイヤーとプリンターだけで、他は引き取り拒否。
結局、民間のゴミ処分業者に持ち込む。有料で処分してもらうのだが、荷台から卸してしまった後になって「では、請求書を後で送ります」と言われた。「大体いくらくらい?」と訊いても教えてもらえない。とんでもない請求書が来るのではないかと思う。
越後への往復だけでも大変な交通費と時間をかけているのに、さらに追い打ちをかけるように……ううう。
しかも、小高の人たちはみんな有料回収と分かった途端、ゴミを全部土地に残していってしまった。せっかくきれいにしたタヌパック越後の跡地も、ゴミをどんどん不法投棄されるのではないかと今から憂鬱な気分。
夕方になってしまったが、向かいのおばあさんがいる仮設住宅に。特製の赤飯と棒鱈の煮物を作って待っていてくれた。空腹に沁みる懐かしい味。


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