文藝ネットの入り口には、「魂はアナログ、手段はデジタル」というスローガン?が掲げてある。
ずっと前から僕自身のテーマにしていることなのだが、どうしても「手段はデジタル」のほうだけがどんどん強化されてしまい、「魂」が弱っていく。
手段としてのデジタルは、もはや否定することができない。でも、その便利さに呑み込まれてしまうと、根源的な感動を生み出すパワーが衰えていく。
長岡市のハードオフ(ブックオフの本以外なんでも版)を初めて覗いてみた。3階には秋葉原のジャンクショップも真っ青というスペースがあり「電源は入りました!」とか「音が出ません」などと書かれた、ありとあらゆるジャンク品がごろごろ積み上げられていた。
スピーカーなどは、昭和40年頃の国産ステレオに付属していたのではないかと思うような、でかいだけでボロボロの、ただの木の箱みたいなものがいくつも展示されている。サランネットはどっかにいって、ウーファーのエッジはちぎれてなくなっている! この状態で「ツイーターは音が出ました!」なんて嬉しそうに書いてある。500円……誰が買うのかしら。
かと思うと、マッキントッシュ(パソコンじゃないよ)の超弩級真空管パワーアンプが20万円とか、古きよき時代の高級オーディオ製品や、ギブソンやリッケンバッカーなどの懐かしいギターやベースも、いい値段で展示されていた。
そういうのを見ると、ほっとする。CPUの速さがどうのというのとはまったく違う次元でのモノの価値。長い間、忘れてしまっていた「価値」だ。
そんな中で、
ミッションの761というコンパクトスピーカーが1対4000円で売られているのを発見。思わず買ってしまった。
我が
タヌパックスタジオのモニタースピーカーは、このミッションの初期モデル(Leading Edge 700)である。日本ではミッションのスピーカーを知っている人は少ないだろうが、ヨーロッパではこのLE700は大ヒットしたと聞いたことがある。
うちにあるのは、すでに本国でも製造中止になった後、秋葉原で現品処分19800円で売られているのを見つけて買ったものだ。
大きさとしては小型モニタースピーカーの定番であるYAMAHAのNS-10M(通称「テンモニター」。なぜかミキシングエンジニアでこれをよく言う人がいないくせに、一時期、どこのスタジオに行っても必ず置いてあった)と同じくらいの大きさ。10Mに比べるとLE700は中高音に気張った力みがなく、低音が朗々と鳴るのが美点。
しかし、これを勧めてくれたスタジオ機材販売店の社長に言わせると、初代のLE700以降の後継モデルは全然ダメになってしまったとか。
761ということは、初代から数えてもずいぶん代替わりしてからのものなのだろうが、形も大きさもタヌパックスタジオで頑張っているLE700と同じで、ついつい買ってしまったのだった。
音は無事出たが、LE700に比べると中高音が相当ねぼけ気味。それでも「イギリスの音」がする。頑張らない音、とでも言うか……。
これで、久しぶりにKAMUNAの『アンガジェ』を聴いて、動けなくなってしまった。
ああ、ここ数年で、なにか重要なことを忘れてしまったのだなあ、という苦い思いがこみ上げてくる。
『アンガジェ』を録音していた頃は、ハードディスクレコーダーが出始めたばかりで、まだ4トラックのものが20万円以上した。それに、イギリスのアナログ卓(Sound Tracks社のPC-MIDI24)を組み合わせて、苦労しながら完成させた。確か96年のことだから、8年も前になる。
8年前の自分の演奏を、4000円で買ってきたスピーカーで聴きながら、今の自分がいかに病んでいるかを知る……辛いなあ。
アナログは面倒くさい。デジタルで済むなら、それが楽でいい。でも、デジタルに置き換えていくばかりだと、見えない価値がどんどん失われていく。
メロディーを創ることを、自分の人生において最上の価値と決めていたのに、いつしかメロディーのことよりも、MIDIシーケンサーだのサンプリング楽器だの、デジタルによる手段のことばかり考えている自分に気づく。デジアナバランスが狂っている。デジタルばかりで、アナログの魂がない。
ギターをつま弾き、鼻歌を歌うところからメロディーが生まれてくる。ディスプレイを見ていても、メロディーは生まれてこない。それどころか、魂がすり減っていくばかり。
……そうね、今年は1年、じっくり反省しよう。そしてリハビリが済んだら、またアナログ手法で音楽をやっていきたいな。ギター一本で弾き語りとか、そういうのも照れずにやっていかなくちゃ。
来年の今頃は50歳。吹っ切れた、元気な調子で音楽のことを書いていられるのかしらん。