たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2004年10月1日執筆  2004年10月5日掲載

「土」の力

この話は以前書いたことがあるはずだと思って、バックナンバーの目次をなんども見直してみたが、見つからなかった。
(ついつい、過去のコラムを自分で読みふけってしまったりして、今週分をこうして書き始めるまでに1時間以上費やしてしまった。初期の頃の「究極の耳かき」なんて、書いたときのことを忘れていたので、思わず引き込まれて読んでしまった……。)
どうも、この話は故・松下竜一さんが発行していた「草の根通信」のほうに書いただけで、まだAICでは書いていなかったようだ。

「土の力」について書く。

新潟県の魚沼地方、ここから先はもう人家が一軒もないという山奥に家を買ったのは、10年以上前のことだ。
バブルの狂気の中、自宅(長屋の一角)の周囲の、ごく普通の家が、1億数千万円などというとんでもない値段を付けて売られているのを見て、もう、首都圏に土地付き一戸建てを持つことは一生無理だと諦め、田舎の土地を探し始めて数年後のことだった。
息子さんの結婚を機に町へ出ることを決意したかたから、二百数十万円で一軒家を購入した。土地は、宅地・山林合わせて四百数十坪ついている。
自分の土地に生えている杉の木を切り倒し、その場で製材した木材で建てられた家(昭和四十年代築)を、その後、毎年少しずつ自分の手で直している。
この家には、もともと水道(山の伏流水から引いているのでうまい!)、都市ガス、電気、電話があったが、トイレだけはくみ取り式だった。
購入後まっ先に着手したのは、このトイレを水洗にすることだった。

「エントロピー読本」という冊子に載っていた土壌浄化システムというものに以前から興味を引かれていたので、さっそくこの土地で試してみた。簡単に言えば、屎尿や生活排水を土壌の力(バクテリアやミミズなどの生物)で浄化し、処理するというものだ。
難しい理屈は何もない。水が地下深く染みこまないようにして、広く薄く染み渡らせるようにするだけ。
もともと、屎尿は毒物ではない。自然に引き渡してやれば、後は勝手に微生物が分解してくれるはず。
理屈ではなく、実際にやってみて10年以上経つが、トラブルが数回あった。トイレットペーパーなどが途中で詰まって、土壌浄化システムに浸透する前で汚水が地表にあふれ出すというトラブル。
ウンコまみれになりながら、途中の処理枡を増やしたり、パイプの継ぎ目を太くしたりして改良を重ねた結果、以後、何年もの間、まったくトラブルはない。

田舎に行くとよく目にする、水を少なくしてポットンと汚物を流し出す簡易水洗トイレを思い浮かべるかたもいらっしゃるだろうが、あれではない。家の中のトイレは一般の電気温水洗浄便座付き水洗トイレだ。もちろん、土壌浄化システム周囲が臭うなどということも一切ない。
極めて簡単にして効果的。なんだ、こんな単純なことで水洗トイレは実現するのかと、拍子抜けしてしまうほどだ。

土壌浄化システムは広い土地がある田舎にはうってつけの浄化方法だが、自治体が許していないケースが多い。
この家を購入して2年後に、なんとこんな山奥にまで本下水がやってきた。最初は「うちは土壌浄化システムで処理していますからいりません」と断ったのだが、行政の命令と板挟みになっている担当者を困らせるのも気の毒なので、本下水につなぐ枡だけは20万円を払って設置した。しかし、トイレからの排水パイプは本下水にはつないでおらず、自前の土壌浄化システムで処理している。

この方式の最大のポイントは、汚物は流しても毒物は流さない、ということにつきる。
我が家ではあらゆる洗浄行為(洗髪、洗顔、手洗い、洗濯、食器洗い、入浴時の身体洗い……)に石鹸しか使っていないのだが、当初、田舎で洗髪用の良質な石鹸を手に入れるのは難しかった。一度だけ、植物性云々と宣伝しているシャンプーを使ったところ、ものの見事に、土壌浄化層の中からミミズが消えてしまった。それまでは勝手にどこからともなく集まってきて、トイレットペーパーなどを食べていたミミズが、「自然に優しい」「純植物性」のシャンプーのおかげで消えてしまったのだ。

石鹸生活については、いろいろな論がある。石鹸は合成洗剤より環境負荷が高いと主張する学者もいる。しかしね、論より証拠で、実際に経験してみればいいのよ。机上に数字をいくら並べてみたところで、合成洗剤を流すと、実際にミミズがさーっと逃げちゃうんだよね。ミミズに優しくない「自然への優しさ」なのかしら。

土の力は偉大である。
使われなくなっていた屋根裏部屋を改装するため、敷いてあったボロ畳を、捨てる場所もないので、庭に数枚積み重ねて放置したことがある。2年もしないうちに跡形もなくなってしまった。文字通り「土に還った」のである。昔の畳は中身に発泡スチロールなど使っていないので、麻糸も含めてすべてが完全に土に還るのだ。これはもう見事なほどだった。

現代人は、廃棄物を生活空間から、つまり目に見える場所から隔離し、人工的に処理しようとする。そのために多大なエネルギーも投入する。
しかし、本来、廃物は自然の循環の中にきちんと渡せれば、あとは自然が勝手に処理してくれる。これが理想である。
やってはいけないのは、
1)自然が処理できないような毒物(PCBや核のゴミなど)を作り出して廃棄すること
2)自然が処理できないように人間が手を加えてしまうこと(三面張りの水路など)
である。

1)に関しては、田舎ほど合成洗剤やプラスチックゴミなどを平気で河川に垂れ流している。自治体などがもっと住民教育に力を入れていくべきだろう。
田舎に限らず、ほとんどの人は「石鹸」と「石鹸もどきの合成洗剤」の区別もできない。
ちなみに、香料や保存料などの余計なものを添加していない本物の石鹸は、スーパーの「石鹸売り場」にはほとんど置いてない。そこには添加物だらけの化粧石鹸や、石鹸風の合成洗剤が置かれているだけだ。
無添加の石鹸は、台所洗剤や洗濯石鹸の売り場に売られている。浴用や洗顔用には、台所用として売られている無添加石鹸(1個100円ちょっと)を使えば間違いない。

2)に関しては、自然の循環を分断するような間違った工事を、今まであまりにも多くやりすぎてきた。そんなに公共工事をしたいなら、すでに作ってしまった無用な堰堤や三面張り水路を壊して、自然の浄化力を回復させる工事をしたらどうか。魚が棲めない河にしておいて、環境整備もなにもないもんだ。

もちろん、都会では土壌浄化システムのようなものは無理だから、本下水を整備していくしかない。しかし、同じ発想を田舎の生活に持ち込むのは間違っている。
山奥の少量のウンコを完全分離して町まで運び、エネルギーを投入して処理するなどというのは究極の愚行だ。自然が処理できるように、処理しやすいように工夫するのが、本当の環境科学だろう。

きれいに火を燃やす科学、きれいに水を循環させる科学、そうした基本的な科学技術こそ必要なのだ。

いっそ、山奥に通信ケーブルを引いて、素朴な科学者村を作ったらどうだろう。ときには畑を耕し、大工仕事をしながら研究する。六ヶ所村の巨大人工施設の一角でミニ地球実験なんてしているより、ごく普通の田舎暮らしを経験するほうが、ずっと健康なアイデアが湧き出て、実のある研究に結びつくような気がする。


花とぞうさん
●花とぞうさん
(飯田橋駅前にて)
(c)takuki.com http://takuki.com/

目次へデジタルストレス王・目次へ     次のコラムへ次のコラムへ

★タヌパック音楽館は、こちら
タヌパックブックス
★狛犬ネットは、こちら
★本の紹介は、こちら
     目次へ戻る(takuki.com のHOMEへ)


これを読まずに死ねるか? 小説、電脳、その他もろもろ。鐸木能光の本の紹介・ご購入はこちら    タヌパックのCD購入はこちら