たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2006年6月30日執筆  2006年7月4日掲載

二人の神様

五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』が馬鹿売れしたのはいつ頃だっただろうか。「1999年7の月」に「恐怖の大王」が空から降ってきて人類が滅びるというのがハイライトだった。
で、それは文字通り1999年7月のことだろうと騒がれたが、人類はその年、その月を、つつがなく通り過ぎた。

その次は、コンピュータの2000年問題というのが騒がれたが、これも人類は大過なく2000年の正月を迎えた。

今は2012年12月22日というのがちょっとだけ話題になっているらしいが、1999年も2000年も無事通過したので、今さら2012年で騒ぐ人は少ない。
でも僕は、1999年や2000年のときよりは、多少リアリティを感じている。
世界がよれよれになっているということもあるけれど、自分自身の肉体と精神もまたよれよれで、あと6年? もうちょっと生きたいけど、ちょうどそんなところかもしれないなあ、という気分になることが多いのだ。

いつの頃からか、この世界を作った「神様」は単独ではない、と思うようになった。
聖書に出てくる神が Gods と複数形で書かれているから、という理由だけではない。この「世界」を見ていると、2つの相反する意志が錯綜して形作られている気がしてならないからだ。
これはどう考えても、ひとつの個性・意志から作られたものではないのではないか?

そのイメージを小説にして、第四回小説新潮新人賞に応募したのが1986年のこと
『ざ・びゃいぶる』と題した100枚ほどの小説は、候補作にまで残ったが、最後はあえなく落選した。
選考委員は井上ひさしさんと筒井康隆さんだったが、お二人とも僕の筆力を誉めながらも、
「しかし、この作者は一体何が言いたかったんでしょうね」
「そうですね、それが分かりませんね」
と選考評で述べていらした。
僕としては、落選したことよりも、その「何が言いたいのか分からない」という講評のほうがショックだった。
あんなに分かりやすく寓話化したのに、分からない? うっそ〜。

この『ざ・びゃいぶる』をもう一度読んでみたいと思うのだが、手書き原稿の時代だったので、原稿が残っていない。天井裏にでも入れてあるのかしら。
書き出しは確かこんな感じだった。


神様Aは悲しんだ。


そう、この小説の登場人物は神様Aと神様Bという二人?なのである。
神様Aは自然美を、神様Bは進化を好んだ。
最初、神様Aが、地球という星を箱庭として種をまいた。芽が出るまで一眠りしようと、数十億年寝ている間に、神様Bがやってきた。
神様Bは芽が出始めた地球という箱庭を見つけ、進化の粉を振りかけた。神様Bはせっかちだったのである。
早く結果が見たい、と、相当な無茶をやった。恐竜絶滅も、ノアの箱船も、神様Bの仕業である。
そんなこととは知らない神様Aが一眠りからさめたときには、すでに人間が文明を築き始めていて、びっくり仰天。
神様AとBはそこで喧嘩を始める。
「なんてえことしてくれたんだよ、おい」
「だって、あんたが先に種をまいていたとは知らなかったんだもん」

……こんな内容だった。

原稿は紛失中だが、内容はかなり覚えている。その後書いた数々の商業小説の中身はことごとく忘れてしまっているのに、原稿がなくなってしまったこの作品のことだけは今もはっきり覚えているのである。「原点」なのだろうな。

あれから20年経った。
この世界の創造に関与した神様は二人、あるいは二種類いた、というイメージは、今ではさらに強くなっている。
ただし、この20年の間で若干変わった部分もある。それは、二人の神様は対等の関係ではないだろう、ということ。
神様Aは宇宙全体を創造した Super Administrator で、神様Bは個別の webmaster あるいはせいぜいブログ管理人みたいなものだろうか。
で、神様Aは単独か複数か分からない(あるいはそういう数の概念を超えた存在かもしれない)が、神様Bは間違いなく複数で、人間に似た形をした「生物」であろう、ということも感じている。

さて、日本人は「聖書」というものにあまり馴染んでいない。新約聖書のことを「新仮名遣いで訳されたバージョン」だと思っている人もけっこういたりする(字が違うでしょ。約と訳)。
そもそも聖書は1冊の本ではなく、著者も年代もバラバラの複数文献をまとめた資料集のようなものだ。旧約が39、新約が27の書物から構成されている。
また、旧約聖書はキリスト教誕生以前に書かれたものであり、ユダヤ教やイスラム教の教典でもある。

で、聖書の記述を素直に読めば、少なくとも、
1)人類は「神」に似せて作られた生物である
2)人類には必ず終わりが来る
という2つのことは、はっきり書かれている。
言い換えれば、聖書とは、この2つのことを現人類に知らせる目的でまとめられた書なのだろう。

となると、聖書に書かれたことを信じる人々にとっては、この世界が終わることは「当然のこと」であり、いちいち怖がっていられない。むしろ、「新しい世界」に入っていける輝かしい転換点なのだと思わなければ、平穏な心で生きていられない。
その「終わり方」と、新しい世界に入れる「選ばれた民」が誰か(どういうグループの人間か)ということの解釈を巡って、(宗教を表向きの理由にした)戦争が起きている、という気もする。

小泉首相がどういう宗教観を持っているのか知らないが、彼が忠誠を誓ってきたブッシュ政権の人々は、間違いなくこうした終末論に根ざした宗教観を持つ人々である。
つまり、世界が終わることはあたりまえ(約束されたこと)であり、自分たちはそれを現世という舞台でプロデュースする輝かしい役割を担った選ばれた民である、と思っている人々である。

こうした世界観、宗教観に馴染めない日本人はたくさんいるのではなかろうか。
僕もそのひとりである。
馴染めないながらも、いつかは必ず死んでいく一生物としては、「神様」の圧倒的な力には逆らいようがない。(逆らいようがないと諦めているのだから、多分、僕は無神論者ではない。)

そんなわけで、2012年にいわゆるラプチャーが起きるというのであれば、冥土のみやげにぜひ見てみたいものだと思うのである。
その「終末」は、神様Aの計画だろうか、それとも神様Bの計画だろうか。
それが分かってから死ねたらいいなあ。

もちろん、何も起きずに2013年を迎えたら、何も起きなかったことを肴にして、うまい酒を飲めばいいだけのことである。



★超蛇足★ できるならば、僕のような不信心な人間でも平穏に生きていける世の中であってほしい。
自分も平穏に暮らしたいのだから、自分とは違った宗教観、世界観を持つ人たちとは極力争いたくない。人が嫌がることは、しなくていいなら、しない。
無論、「軍神」なんてものも、いらない。





●モリアオガエルの卵塊
(2006年6月29日 平伏沼にて)

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