たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年8月9日執筆  2002年8月13掲載

「狛犬」という趣味

気象庁の長期予報では、今年は冷夏なんて言ってなかったかしら?
……ということは、絶対猛暑だな、と覚悟していたら、案の定ですね。ふう。
このところすっかり夏休みモードになって、毎日ぐだぐだしている。昼間は暑くて動く気がしないのだが、夕方くらいになってから車で神社巡りをするという具合。

ところで、このコラム、毎回、イラストか狛犬の写真がオマケでついている。イラストは、僕とは1字違いのペンネームtanukiさんが、毎回ノーギャラで(すんません!)提供してくださっている。
tanukiさんはこのコラムの読者で、僕のサイトの掲示板に遊びに来てくださったのが縁で、イラストを依頼するようになった。アメリカの大学院で勉強中の学生さん。
ときどき、僕が絵を描いていると勘違いされることがあるのだが、まったくの別人なので、ひとつご承知おきくださいませ。

狛犬の写真のほうは、もちろん僕が撮っている。
狛犬のことはとても1回では書ききれないのだが、今回はほんのイントロダクションを。

狛犬の写真を撮り始めたのは結婚してすぐの頃だから、かれこれ20年以上になる。数えたことはないが、撮影した狛犬の写真は、千ではなく万の単位になるはずだ。整理も大変で、昔撮影した写真は、すぐには出てこない。

写真に興味を持つようになったのは中学生の頃からだ。父親が持っていたアサヒペンタックスSPという一眼レフを借りて、主にモノクロの風景や人物写真を撮っていた。現像機や引き延ばし機を持っている級友がいて、遊びに行って、どうということのない写真を全紙大に引き延ばし、「おお、大迫力じゃん」なんてやっていた。

そのうち、音楽に熱中していき、次第に写真の趣味は忘れていった。
しかし、結婚して、妻と旅行をする機会が多くなったのを機に、写真の趣味を復活させようと思った。その頃は、音楽も文学もすでに趣味ではなく仕事になっていて、純粋に楽しめる趣味というものがなくなってしまっていた。超一流にならなくてもいい。自分が楽しめればいいし、もちろん儲かる必要もない。本当の意味での趣味をひとつ持とうというつもりだった。

しかし、趣味とはいえ、雑多なテーマで写真を撮るのではつまらない。どうせなら被写体のテーマを決めて、一生をかけて追いかけようと考えた。
ヌードはいちばんやりたいけど、モデルが次から次へと現れるとは思えない。欲望を抑えきれず、変な方向に行かないとも限らない。
岩合光昭みたいに野生動物の写真を撮るのは、あまりにも難しいし根気がいる。かといって、ペットの写真じゃあ軟弱だ。
風景写真というのも、漠然としていて今ひとつ面白くない。富士山ばかり撮り続けるとか、夕日の写真専門というのなら分かるけれど、どれもピンとこない。
そこに現れたのが狛犬だった。

確か、きっかけとなったのは、山梨県の穂見神社にある木製の狛犬だった。この狛犬はとても味があり、その後、5、6回訪れては撮影している。

「狛犬なんてどれも同じでしょう?」と言う人がいる。とんでもない!
こんなに変化に富み、奥が深く、楽しめる造形物はそうそうはない。
石造りの参道狛犬が神社に奉納されるようになったのは江戸時代になってからだから、美術史的には歴史が浅い。国宝の石造り狛犬がほとんどないのも、そうした理由からだ。
狛犬の起源はライオンである。遡ると、古代オリエントの獅子にまで行き着く。スフィンクスは狛犬の祖先なのだ。

しかし、江戸時代の石工は、獅子(ライオン)というものを見たことがない。都の石工たちは、サンプルとして、宮中に置かれている神殿狛犬(ほとんどは木製で、天皇の玉座を守る霊獣として置かれていた)を見る機会もあっただろうが、都から遠い地方の石工たちは、そうしたサンプルも見ることができない。
そこで、想像力を精一杯働かせて、犬のような狛犬や狼のような狛犬、熊のような狛犬。おどろおどろしいものから、ぬいぐるみの子犬のように可愛らしいものまで、実に様々な形の狛犬を彫った。

たてがみや髭、角や牙、尻尾の形、眉毛……見れば見るほど、実に様々なバリエーションがある。前脚の付け根あたりに翼をつけているものもいる。昭和初期までは、こうして多種多様な狛犬が全国で彫られていった。
戦後は、岡崎市を中心に、定型化された大量生産の狛犬が機械彫りで作られるようになり、面白みがなくなった。最近では国産の狛犬というものもほとんどなく、多くは中国や韓国で作られている。
狛犬なんてみんな同じと思っている人は、主にこの大量生産の戦後狛犬を見ているはずだ。

ともかく、狛犬の魅力のひとつは「多様性」にある。仏像は人間の形を模しているので、それほど突飛なものはない。千手観音のような異形はたくさんあるが、いかにも教条的というか、理屈っぽい異形ぶりで、僕はどうしても好きになれない。

狛犬は、仏像や神像のように拝まれることがない。
毎年地元の神社に初詣に行くのに、そこに狛犬がいたかどうか覚えていないという人もたくさんいる。多くの人は、狛犬の前を素通りして、神殿に直行し、お賽銭をあげ、参拝し、また狛犬の前を素通りして帰っていく。

狛犬はまた、ほとんどの場合、雨ざらしだ。当然風化が進み、損傷が目立つようになる。最後はトルソーのように、なんだか分からない丸みのある石になってしまっているものもある。
このけなげさがまた愛しい。
誰からもちゃんと見てもらえず、それでも黙って雨風を受け、神社を守り、最後は土に還っていく。美しいではないか。

最初は単に写真の被写体として興味を持ったのだが、次第に、その狛犬の背景にある物語をも想像するようになった。今は小さなメモ帳を持参し、必ず台座にある銘を記録している。いつ、誰が奉納し、誰が彫ったのか。かすれた文字から、様々な物語が浮かび上がる。

太平洋戦争直前に地元の青年団によって奉納された狛犬には、出征していく仲間たちの無事を祈る気持ちが込められていただろう。奉納した青年のうち、何人が戦地から無事帰国でき、この狛犬に再会できたのだろうか。……ついついそんなことを考えてしまう。
同じ石工が、年を重ねるに連れ、作風が変わっていくのも分かる。親が子に自分の作風を伝えていく様子も分かる。石工一族の中で、飛び抜けた天才が現れることもある。石工たちの一生を想像してみると、目の前の狛犬の存在意義が見えてくるような気もする。

狛犬巡りを続けていると、ついには狛犬と心が通い合うようになる。
5年ほど前、岩手県の遠野に行ったときには、こんなことがあった。
遠野には期待していたほど狛犬がいなくて(狛犬は「ある。ない」ではなく、「いる。いない」と言いたい)、その日は激しい雨ということもあり、だんだん根気もなくなってきた。
そろそろ宿へ向かおうかと思っていたとき、ふと「旧村社倭文神社」という案内板を見つけた。地図を確かめたが、そんな神社は載っていない。かつては村の鎮守様として大切にされていたのが、今は寂れてしまったのかもしれない。
小さな道祖神にもきちんと固有の名がつけられている民話の里・遠野。その地図に載っていないのだから、ずいぶんな扱いだ。

案内板の先には、暗い山の中に入っていく寂れた参道があった。しかし、その道を一目見ただけで、同行していた妻は「これはいないわね」と言った。僕も、雨の中を山に登る気力がなくて、一度はUターンした。
ところが、車道に出て数百メートル行ったあたりで、「行っちゃうの?」という声が聞こえたような気がした。
その声は小さくて、大きな威厳のある狛犬の声ではない。僕の好きな、小さくて素朴な狛犬の呼び声。
助手席の妻に「なんか呼んでいる気がする……」と言うと、呆れた顔で、「じゃあ、戻れば?」という答え。
後で嫌みを言われるのを承知で、思いきって引き返した。車の中に妻を残して、一人暗い雨の参道を登りつめると……。

いた!
まさにあの、頭の中に響いた声のイメージにぴったりの、苔むした小さな狛犬がいるではないか。太った猫くらいの大きさで、四つん這いになっている「江戸はじめ」というタイプ。
きみたちが呼んだんだね……と、思わず涙が出そうになった。

「狛犬は生きている」と言うと、多くの人はにやにやしながら「はあ……」なんて困った反応をするのだが、本当なんだってば。

趣味としての「狛犬」。
今からでも遅くはない。何か面白いものはないかなあと思っているかたには、一推しです。

倭文神社の狛犬
写真 遠野市倭文神社 呼び止めた狛犬(多分、宝永年間前後の作)