たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2002年11月15日執筆  2002年11月19日掲載

「近くて遠い国」の意味


Qちゃん(高橋尚子選手)が肋骨の疲労骨折のため東京国際女子マラソンの欠場を表明した日に、孫基禎(ソン・ギジョン)さんの訃報が流れた。90歳だったそうだ。
昨年亡くなった南昇龍(ナム・スンヨン)さんに続き、孫さんも……。1936年のベルリンオリンピックに、日本代表として出場し、1位と3位に入った名選手二人がこの世を去ってしまった。
高橋尚子選手はじめ、日本の現役マラソン選手たちは、孫さんや南さんのこと、知っているのかなあ、などと思いながら、訃報を読んだ。

先日のコラムでも紹介したが、孫基禎さんのことは、「ある長距離ランナーのゴール」というWEBページに、よくまとめられている。
この文章を書いたのは信太(しだ)一郎さんという国語教師のかただが、信太さんのサイトは懐が深く、朝鮮と日本のことについても、豊富な情報、見解を掲載している。ついつい、読みふけって、半日くらいすぐに経ってしまう。

信太さんは養父が在日朝鮮人だそうで、一般の日本人よりは朝鮮のことを知りたいと思う動機づけに恵まれていたのかもしれない。しかし、それにしても思うのは、僕も含めて、多くの日本人が、いかに朝鮮のことを知らないか、ということだ。
「近くて遠い国」という言葉がよく使われるが、この「近くて遠い」の意味も、一部曲解されているような気がする。特に、このところの北朝鮮による拉致事件報道で、「北朝鮮はとんでもない国」という認識が強まり、その意味での「遠い」だと解釈されがちだが、本当はもっともっと複雑で深い意味が込められているのだろう。

例えば、信太さんのサイトにはこんな文章がある。

「在日」は、国籍で韓国人と朝鮮人に分かれるわけでもない。日本の外国人登録で「朝鮮籍」というのは確かにあるのだが、これは朝鮮民主主義人民共和国籍というわけではない。日本と北朝鮮との間にはいまだに正式の国交がない。認めていない国の国籍で日本政府が登録するはずもないのである。旧植民地出身者が日本国籍を失ったのはサンフランシスコ講和条約の締結時のことだが、そのとき朝鮮半島出身者はすべて「朝鮮」籍とされた。そののち韓国政府からの要望で「韓国」籍に変える道が開かれ、もともとが南の出身者が多いためもあって、今では韓国籍が多数派となっている。朝鮮籍から韓国籍に変えるのは容易だったが、その逆が認められない時代があった。「朝鮮」というのは単なる符号であって国名ではないからというのがその理由であった。このことからも朝鮮籍=朝鮮民主主義人民共和国籍ではないことが分かる。なお、中国人の場合は、出身地や帰属意識が大陸か台湾かにかかわらず、いまもすべて「中国」として登録されている。(「となりの国の呼び名」)より。


これは意外に多くの日本人が知らない、あるいは正確に知ろうともしていないことではないだろうか。
「在日(朝鮮人)とは、北朝鮮の人のことを言うのか? それとも韓国人も含めての呼び方なのか?」と訊かれたことがある。「もともとはひとつなんだから、北も南もないでしょう」と答えたものの、恥ずかしい話、そのときはそれ以上正確には答えられなかった。
朝鮮の人が数多く日本に渡ってきたのは韓国併合の後から太平洋戦争終戦にかけて。つまり、今の在日朝鮮人の多くは、朝鮮半島が日本の植民地とされていたときの人の子孫だ。すでに一世はほとんど生きていないし、その一世が「在日」となった出発点では、まだ南も北もないのだから、在日朝鮮人を現在の韓国と北朝鮮、どちらの人なのか、と悩むこと自体がナンセンスなのだ。

最近、拉致被害者の報道と合わせて、朝鮮戦争後、1959年に日本と朝鮮民主主義人民共和国赤十字会の間に結ばれた「在日朝鮮人の帰還に関する日朝赤十字協定」によって北朝鮮に渡っていった在日朝鮮人や日本人妻たちのことが映像入りで紹介されているが、あれも、もともと北朝鮮(のエリア)にいた人が生まれ故郷の地に帰っていったわけではない。多くは、「南」の出身者だったのだから。
「地上の楽園」というキャンペーンにのせられたというが、彼らが日本ではもう暮らしていけないと思い詰めるに至った背景のことなどは、1955年生まれの僕は、認識できていない。

こうした基本的な知識(それも大昔のことではなく、戦後の歴史についての知識)を持たないまま、日本人の多くの心に、「北朝鮮はとんでもない国だ」という気持ちだけが植え付けられ、敵愾心だけが増大していくようなことではまずい。
皮肉なことだが、拉致被害者5人が日本の地を再び踏んだことは、日本人が日本と朝鮮との関係を見つめるきっかけになった。「近くて遠い国」の距離を縮める努力の余地は、むしろ日本人の側にたくさん残っている。

「国」という言葉は、使い方が難しい。
他国の人間をいきなり袋詰めにして拉致し、自由な未来を奪った。しかも、そんなことはでっち上げだと言い通してきた「とんでもない国」北朝鮮。……こういう言い方をした場合、「国」とは、国家権力のことであり、支配システムのことだろう。その国全体、土地や自然やそこに住む人々のことではない。
あるいは「とんでもない国」イコール「とんでもない生活環境」という意味になるのかもしれない。その場合は、「とんでもない国」を作ってしまった要因は何であるのかを分析し、現実的には、各人が、今自分が置かれている立場ではどう動けば、問題解決にとって「よりましな」結果につながりやすいのかを考えていくしかないのだろう。
どんな立場の人であれ、理不尽な差別意識を持たない、ということくらいのことはできる。

言うまでもないことだが、誘拐犯に、犯罪を利用してごねる権利など毛頭ない。
曽我ひとみさんの母親・ミヨシさんはどうなったのか。一緒に拉致したことは明白なのだから、まずはこの件だけでも北朝鮮は即刻「自白」し、被害者である曽我さん一家に謝罪と補償をしなければならない。
そのへんを突っ込めないでいる日本政府にもイライラさせられるのだが、それは今後を見守ろう。
一方で、日本人の側も、朝鮮という隣国に対し、正確な情報や歴史認識を持つことは、最低限度のエチケットであるはずだ。
一旦帰せ、帰さないの議論や、核心に突っ込めないインタビュー記事を「知る権利」だの「報道の自由」だのと言い換える騒動を見守りながら、この際、自分の無知を少しでも埋めておかなくては……と、いつもよりは多少、真面目なネット探査(勉強モード)を試みる日々である。
加園八幡神社の狛犬
 寄り添う2匹
(栃木県鹿沼市加園八幡神社)
詳細は→狛犬ネットへ



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