たくき よしみつ の デジタルストレスキング デジタルストレス王

2003年3月21日執筆  2003年3月25日掲載

文化・教育の面から見たこの「戦争」

今週はこのコラムを書くのがとても気が重い。

こんなときに、別の話題を書くのも空々しいし、かといって、滅茶苦茶な論理で始められた「戦争」(これだけ一方的だと、果たして「戦争」という言葉があてはまるのかどうか)の理不尽さについて、まともに論じるのも虚しい。
要するに、圧倒的な武力・経済力を持つ権力者が他者を屈服させるという、人類史上繰り返されてきたことを、21世紀になっても再確認させられているということだ。進歩したのは兵器の性能だけ。
正当化のための理由付け合戦、戦況報告、「戦後処理」問題予想……あらゆる情報がとても虚しい。戦車にテレビ中継用の機材を積んでいたり、プレスセンターが設置されたり、まるでスポーツイベントを中継するかのような感覚で、directed by USAの映像・情報が世界に発信される。

いろいろなレベルの論評、行動がある。
「戦争反対」を唱えて750人の女性が集まり、全裸で地面に横たわってNO WARの人文字を作ったというようなものから、この戦争は「ブロック経済世界の再編成」という悪夢へ続くかもしれないと分析する冷泉彰彦氏の論評(『from 911/USAレポート』第83回)のようなものまで。

今度の「戦争」が人間世界に与えた悪影響はいろいろあるが、最大のものは「厭世観」だろう。
まともな論理が通じない。人間は進歩していくというのは幻想にすぎなかったと知らされることによる虚無感、絶望感。圧倒的な「やりきれなさ」が世界中を包み込んでしまうことがいちばん怖ろしい。

ネット上には、風刺に満ちた漫画やジョークネタがあふれている。「本音はオイルでしょ」ネタや「みんなで愛国心」ネタ、中には、スターウォーズのポスターをパロったものなどもある。こうしたものも、よくできていればいるほど、実際に爆弾が落ち始めると虚しく感じられる。
中には、ブッシュのカートゥーンを使ったオイルメジャーを皮肉る絵柄のTシャツを販売してちゃっかり商売を始める者もいる。
アメリカ文化の底力はすごいもので、こうしたネット文化があるところがよさだと思うのだが、このままでは厭世観という悪魔がじわじわと広がり、陽気で自由なアメリカ文化の美点を呑み込んでしまうかもしれない。そうなれば、アメリカの文化には、経済行為・ソフトビジネスの一環という面だけが残り、今すでに魅力がなくなっているのに、ますますつまらないものに成り下がるだろう。

日本政府は、アメリカがどんなに理不尽なことをしても、日本は支持いたします、と表明してしまった。今までのようにのらりくらりと逃げる道もあっただろうに、とうとう世界に向けて表明してしまった。
このことで、日本国内でのテロ発生危険度が急上昇し、経済的にもアメリカべったり路線がどれだけ危ない要素を抱えているかについては、すでにその方面の専門家の多くが指摘しているので、門外漢の僕が書くまでもないだろう。
ただ、ひとつ付け加えるなら、これは政治・経済だけでなく、文化・教育の面でも、とりかえしのつかない愚行だったということだ。

日本政府は、アメリカがどんなに理不尽なことをしても、日本は支持いたします、と表明してしまった。今までのようにのらりくらりと逃げる道もあっただろうに、とうとう世界に向けて表明してしまった。
このことで、日本国内でのテロ発生危険度が急上昇し、経済的にもアメリカべったり路線がどれだけ危ない要素を抱えているかについては、すでにその方面の専門家の多くが指摘しているので、門外漢の僕が書くまでもないだろう。
ただ、ひとつ付け加えるなら、これは政治・経済だけでなく、文化・教育の面でも、とりかえしのつかない愚行だったということだ。

言うまでもなく、戦後の日本はアメリカ文化に憧れ、真似をし続けてきた。その中で、アメリカ文化のよいところを吸収した上で、日本人特有の感性を加えることで、魅力的な作品も生まれた。
音楽で言えば、ナベサダのジャズやユーミンのポップスは、アメリカ音楽をベースにしながらも、アメリカ音楽にはない日本人らしい感性を溶け込ませることに成功した例だろうし、アニメでは、宮崎駿作品は、今のディズニーアニメよりずっと上質だと思う。

方法論として見る限り、アメリカ文化は、偉大な手本である。
新しい手法や自由な発想が常に生まれてくる。そのパワーは素晴らしい。
しかし一方で、ハリウッド映画などは、金をかけ、技術を駆使すればするほど、作品そのものの底の浅さが露呈するようなところがある。そうした単純な娯楽もたまにはいいかな、と思って観ると、たいていは後悔する。
文化の中身の濃さ、精神性の深さ、人間の心を揺さぶる本質的な魅力という面では、大先輩のヨーロッパにかなわない。
工業製品にしても、フランスやイタリアのデザインセンスやドイツの骨太な設計思想などは、今なお、よき手本である。
アメリカの文化は衰退し、これからはヨーロッパ文化が再び世界をリードしていくのではないかと漠然と感じていた僕としては、今回、米英と仏独が対立した構図は、非常に象徴的、暗示的なことのように思えた。(独仏は現イラク政権による石油利権を守りたいだけだ、という冷めた論評もあるが、それだけではないだろう。)

世界中の人が『スターウォーズ』や『ターミネーター』を観て狂喜乱舞するするわけではない。いろいろな文化や価値観があるからこそ、地球は面白いのだ。
今度の「戦争」を正当化する理論は、そんなあたりまえのことさえも木っ端みじんに吹き飛ばしてしまう。

文化を支えるのが教育だとすれば、今回の小泉首相の「戦争支持」表明が日本の教育界に及ぼした悪影響は計り知れない。
こんな一方的タコ殴りのような暴力を、日本政府は支持している。正しいと言っている。多分、本音は少し違うところにあるのだろうが、強い国には逆らわない、でたらめでも、強い国には積極的に尻尾を振ることでしかこの国は生き延びていけないと思っているらしい。
それはおかしいといって立ち上がる者もいない。米英の政治家・官僚たちの中には、職を辞して抗議する者が大勢いるらしいが、自分が住むこの国にはそうした動きはほとんどない。
どうやら「システム」として、そんな人間しか政治家、官僚にはなれないらしい……。

そう知ってしまった子供たちに、どうやって将来への夢を抱けと説くのか。
暴力はいけない、などという根本的な倫理教育さえ危うくなる。
強い者が「正義」だ。強ければ「正義」はいくらでもでっちあげられる。不幸にして、自分より強い者が理不尽なことをやったときは、従うしかない。
ただでさえ夢が持てない現代を生きる子供たちは、今回の「戦争」で何を学んだのか。あるいは学ぶことさえ放棄しているのか。想像するだに怖ろしい。

どこかに何らかの望みが残されていないものなのか……。
子鍬倉神社の狛犬
子鍬倉稲荷神社の狛犬(福島県いわき市平)
昭和11(1936)年建立のブロンズ狛犬を戦争で供出。
昭和27(1952)年4月石で再建。石工・山野辺大五郎 komainu.net




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