(追記)
2019年年頭に抱いたスローガンって、何だったんだろう……と、
去年の日記の1ページ目を確認してみたら、こんなことを書いていた。
階下に降りていくと、Eテレのらららクラシックという番組をBGM代わりに流していて、チェンバロ奏者がこんなことを言っていた。
「バッハは聴衆を喜ばせようというショーマンシップではなく、職人として、この宇宙の摂理を作った神に恥ずかしくないような音楽を作ろうとしていたのだと思います」
……ん?
そのフレーズ、なかなか深いね。
もちろん、その「神」は人によって違う。「職人」という意識があったかどうかも分からない。
しかし、聴衆に媚びない、神に恥じないようなものを作る、というのは「いいね!」。
去年は、「人生死んだ後が勝負」という達観が、達観ではなく、煩悩まみれだと気づいた。その先を意識しないと、創作は続けられないなあと思っていたところに、円丈さんの「人生死ぬときが勝負」「自分を評価できるのは自分しかいない」という手紙が届いた。
で、死んだ後の「この世」に評価してほしいと未練を残すのではなく、自分の中にある宇宙のようなもの、そのわけのわからない価値観のためにメロディの価値を信じる……というような気持ちに切り替えよう、なんて思いながら年を越したところだった。
いいじゃないの、これ。「神に恥じない音楽」を、今年のスローガンにしてみようかな。
それとは別に、「人生死んだ後が勝負」路線(?)は、人生最後の小説が書けるかどうかへの挑戦、という形で継続させられたら、と思う。
……なんか大仰だけど、内容は今年のとあんまり変わらないか……。
ちなみに、「人生最後」かどうかは分からないが、去年、小説は書いた。かつて書いていたものとはだいぶ違うものになったので、これで「死んだ後に勝負」できるとはまったく思っていないけれど、むしろこっちのほうが「神に恥じない」ものとして書いたかもしれない。
「神の鑿」石工三代記の祖・小松利平の生涯を小説化。江戸末期~明治にかけての激動期を、石工や百姓たち「庶民」はどう生き抜いたのか? 守屋貞治、渋谷藤兵衛、藤森吉弥ら、実在の高遠石工や、修那羅大天武こと望月留次郎、白河藩最後の藩主で江戸老中だった阿部正外らも登場。いわゆる「司馬史観」「明治礼賛」に対する「庶民の目から見た反論」としての試みも。